「そう思っている」のは、誰ですか?

移住や転職の話をする相手を、極端に制限している
そのことが不快で、そうしている自分に疑いがわいていた

移住や転職の話をしたとき、多くの場合、
「すごいね」とか「やったね」とか「おめでとう」とか
言ってもらって、嬉しいことのほうが多い

一方で

何人かの知り合いからは同じことばをもらうことに
強い抵抗感があった
「彼ら」が「わたし」にそう言うとしたら
目に見える達成や成果だけで評価してのこと
過程や姿勢、在り方は評価してはくれないだろうと決めつけて
「彼ら」には移住や転職の話をしたくないと思っていた

その感覚が、ずっと不快だった

「彼ら」が「わたし」が期待するように「わたし」を
扱ってくれないことが不快なのか
なぜこんなにも不快さが続くのか
その不快さの正体は、本当はなんなのか

問い続けていた

ふとした瞬間に気づいた

ああ、目に見える成果や結果だけで
「わたし」が「彼ら」を 評価しているんだ

そう感じない、そんな評価が介在しない相手には素直に話せるのに
「彼ら」には話せない理由は、
「わたし」が「彼ら」を 結果や成果で判断しているから

「結果じゃなくて、過程・姿勢が大切」
「評価するなら、過程や姿勢」
「やりかたより 在り方」

そう考えたいと思っているのに
それができていない自分を相手に投影して
相手を責めていたのだ
そして自分は悪くないと、棚に上げていたのだ

自覚的な他責ではないかもしれない

無意識の投影

でも、むしろだからこそ、気づけて良かった

自分のことなら、働きかけられる
自分のことなら、変えられる

出会って下さり、拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます

今日も、あなたにとって素晴らしい一日となりますように、
心からお祈りしています

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