知識を再訪すること【当たり前に至る道を歩いてみる】
「これって当たり前じゃない?」
「当たり前なのは”結果”だね」
「結果?」
「当たり前でないのは、”過程”だよ」
「ふーん」
「別に同じ道を歩く必要はないけどね」
(ある師匠と弟子の日常)
こんばんは、LearnTernのAkiです。
今日はLearnTernの記事を更新していません。
本当は「自己調整学習」について書く予定でした。
知識ストックとしてあるものをLearnTern記事にするとき、僕はもう一度その知識を学習し直します。コンテンツの価値を上げるため、正確性を高めるためというのが一番の理由です。
けれどもう一つ、理由があります。
過去にその知識を学んだのは「過去の自分」です。
「今の自分」と「過去の自分」はその知識・技能体系、経験、視座が異なります。
「今の自分」が改めて学び直すことで、新たな解釈を得られるのです。
そして学習において、この「解釈」はメチャクチャ重要です。
で、今日。
「自己調整学習」について学び直す中で、思うところがあり書くのをやめました。と言いつつ、たぶん今度書きます。ガッツリ学習したあとに。
今日は「知識を再訪する意味」についてのnoteです。
自己調整学習は「当たり前」だった
はじめて「自己調整学習」という理論を知った時、僕は「なんて当たり前のことを言っているのだろう」と思いました。
もちろん時代背景などを鑑みればそれは素晴らしいものなのかもしれないけれど、過去の僕はその理論に魅力を感じませんでした。だからすぐに別のユニットに興味を移していたと思います。
そんな「当たり前」に、僕らは何度も何度も出会っています。
「くりあがり」も「0」も当たり前でした。プログラミングだって「当たり前」の連続です(最初は)。
けれど「当たり前」は結果なのです。
気づきと、動機と、偶然と、失敗と失敗と失敗があって、その「当たり前」が生まれたのです。
その過程は決して「当たり前」などではありません。
でも僕らはその過程を辿っていないので、その「当たり前」な結果の凄さ、面白さ、素晴らしさに気が付けないのです。
気がつけば自己調整学習にたどり着いていた
【LearnTern再開】の記事でも書きましたが、現在、LearnTernの代表コンテンツの作成に取り組んでいます。いろいろ頭をこねくり回したり、イマイチやる気がなくなったりしながら、チョビチョビと進んでいます。
今日「自己調整学習」を学び直す中で「おや?」となりました。
――「これ、どこかでみたことあるぞ?」
もちろん過去に学習したはずなので当然見たことはあるのですが、そういう意味じゃないです。
ここ最近、いつもみていたもの。
LearnTernのコンセプトと、現在つくっているコンテンツ「Castle of LearnTern」の影がそこにはみえました。
かつて「当たり前」で「たいした価値がない」と思っていた自己調整学習。
いつの間にか、僕はそこにいました。
今の僕が自己調整学習を当たり前と吐き捨てることはありえません(別に昔も吐き捨ててないよ? Zimmerman達すごいよ?)。
そんなこんなで結果として起こったことは「更新をサボる」という現象なのですが、今日はなんだか良い感じです。嬉しい感じです。
過去のあなたが見た「当たり前」、再訪してみるのも楽しいかも?
ではまた。
ーーAKIーー
ーしかも晩ごはんは大好物のオムレツー