人の能力を下げるのはだいたい根拠のない悲観だったりする。
こんばんは、LearnTernのAkiです。
今日はサイトの方も更新したのでよければ見てください。「なぜ?」についてです。
さて、今日こんな記事を読みました。
そもそも、人間の生得的な記憶力にはほとんど差がないと、私は考えています。
では、なぜ私が記憶力日本一になれたかというと、効率よく記憶する技術を使っているからです。
LearnTernでも記憶の理論や記憶術についてはいろいろと紹介しています。当然、僕はいろいろと記憶について知っているわけです。
「自分は記憶力がない……」という人は大抵、記憶のことをほとんど知りません。どうすれば記憶が長期化するのか、そもそも記憶というのはどのようなプロセスなのか。知らないのです。
まあ学校ではあまり教えてくれませんし、しかたないと言えばしかたないかもです。
でも、嘆くのはちょっと違うと思います。
全部才能なのかよ、っていう話ですよね。
走る練習もトレーニングもせずに自分の走力について嘆いたり、英語の授業を全然聴いていないくせに英語のセンスがないと嘆いたり。
嘆くのが好きなのは自由ですけど、たいした努力もせずに、努力して力を手に入れた人を羨ましがるのはマズイです。ださいです。
僕もよく「音痴、音楽的才能が壊滅的にない」とか言ってて、でもよくよく考えれば、ホント何の努力もしていないんですよね。
音楽選択は避け、カラオケでも極力歌わない。
それで「自分には才能がない」とか片腹痛しなので、とりあえずハーモニカ買いました。最近あまりやってないけど。
とにかく、努力もせずに自分を嘆いて、あげく人を羨ましがるのはよくないです。
自分にラベルを貼るな
ちょっと前にLearnTernでこんな記事を書きました。
ラベルというのはレッテルみたいなもの。
「自分は記憶が苦手……」というのもラベルです。
ラベルを貼ってしまうと、どうでもいい小さいことでも自分の能力不足に結びつけたりします。人の名前をちょっと忘れたくらいで自分の記憶力を嘆いたり。いや、一回会ったくらいの人、ふつうに忘れることもあるよ。
また、ラベルを貼ると努力をしなくなります。
嘆く前にすべきことがあるのに、できない自分を受け入れてしまっているばかりに、努力しない。残念です。
さらに自己効力感の面でも厄介です。
連中はだいたいラベルを口に出すので、それが自己効力感ゲージを上げ下げする要因の一つ、「言語的説得」をマイナス方向にシフトします。
もうどんどんできなくなります。
自分の可能性を狭めているのはだいたい自分
たいした根拠もないのに、いたずらに自分の可能性を悲観するのはNGです。能力というのはその成長プロセスにおいてもパフォーマンスにおいても、心理状態にめちゃくちゃ影響されます。
自分で自分の道を暗く狭くするのはやめましょう。
もちろん、他人の道を暗く狭くするのもやめましょう。
明るく生きていきたいし、学んでいきたいものです。
ではまた。
ーーAKIーー
ーラベル剥がし人ー