読者が読みたいものなんて知らないし、仲間に向かって書く【素人ライティング】
「あの人が欲しいもの、わかる?」
「わからないけれど、予測はできる」
「傘かレインコート?」
「たぶんね」
「でも違うかもしれないよね?」
「その通りだ」
(ある師匠と弟子の日常)
こんばんは、LearnTernのAkiです。
昨日のLearnTernで更新した記事は「ARCSモデル」。学習意欲系理論のまとめ役みたいなヤツなので、暇な時に頭に入れておくといいかもしれません。
僕はnoteを毎日更新、サイト「LearnTern」の記事を(だいたい)平日更新で書いています。たまに別のサイトの記事を書くこともあります。あと小説とか。
それだけ書いているとたまに「文章を書くこと」について考えることがあります。昔はいっぱい考えていました。
いろいろ関連本や記事を読みました。
ぶっちゃけインターン先で教材つくったり、講師したりもしました。
結局1つに収束すると思っています。
「読者のことを考えて書く」です。
自分の書きたいものではなく読者が読みたいものを書く、ということですね。
たぶんこれは真理です。
真理ですが、クソくらえです。
読者の奴隷なのか
ビジネスライティングや商品ならともかく、現代は「ライティングが自由化された時代」。プロも素人も、それぞれ自由に書けるのです。
にもかかわらず「読者の読みたいものを書く」。
――文章を書くとは、読者の奴隷になることではない。
その意味で『読みたいことを、書けばいい』は最高でした。
ぶっちゃけ、自分の文章を読んでくれる人が何を求めてるかを完璧に知ることなんてムリです。だから自分の書きたい(読みたい)ことを書けばいいと思います。
とはいえ(とはいえ?)
「読者の奴隷じゃない」。これはマジです。
とはいえ、じゃあ読者を無視して書いていいということにはならなかったり。
僕は普段、自分の好きなように書いていますが、常に読者のことが頭にあります。
「どう思うんだろうなー」
「難しすぎ? ナメすぎ?」
「あれ? この情報ってもう知ってるんだっけ?」
「フフ、意味を潜ませてやろう」
いろいろ考えています。
僕らは読者の奴隷じゃないので、その人達に忠誠を誓う必要もなければ媚びへつらう必要もありません。
でも当たり前の配慮や気配りはします。相手のことを考えます。それだけです。
どこにいるのかわからない、仲間に向かって
読者が何を求めているのかなんて知りません。わかりません。予測はできます。でも本質的にはわかっていません。
ぶっちゃけ、僕はいつも一緒にいる人の「本当に求めているもの」もわかっていないと思います。
だから僕は「仲間」に向けて文章を書きます。
僕がイイと思うものを、一緒にイイって言ってくれる人。ツッコミを入れてくれる人。興味ないけど一応聴いてくれる人。
「仲間」がそれを読みたいかなんて知らないけど。
別に何でもいいのです。「仲間」だから。
文章を書き始める人には、これからそんな感じのことを言っていこうと思います。
ではまた。
ーーAKIーー
ー仲間って言うのオフラインだと照れくさいかもー