発達障害 | 嫌われてるんじやないかといつも思ってる。
すこしネガティブな話になります。
不快にさせたらごめんなさい。
私はひととの距離感がうまくとれません。
なのでたくさんの人のなかにいるとどうしていいかわからなくなります。
1:1なら大丈夫でも、私をふくめて3人以上になると喋るタイミングや何を話せばいいのか、わからなくてとても緊張します。
だから、学校が苦手でうまくなじめませんでした。
そして、父が事業をはじめてから母は事あるごとに「養子にいかないか」というようになりました。
私は捨てられるかもしれないといつも不安でいっぱいでした。
他所の子にされないように親が望むように振る舞うようになりました。
思い返すと環境が変わることが苦手なのに頭をフル回転で期待に応えようとしていました。
対応しきれず、キャパを超えてしまうのだと思います。(いまも環境の変化が苦手)
それでも他所の子になりたくないから嫌われないようにとできないなりに頑張っていました。
けれど、発達障害っぽさが顕著に出てしまい
ヘンなことをいってしまうし、距離感がつかめない。
学校でも居場所がなく、家庭環境がみんなとちがうせいで悪目立ちしてしまう。(服装とか、親がネグレクト)
いまでも忘れられないのが、小学校の全校集会で輪になったとき、私だけ誰も手をとってもらえませんでした。
ひとり輪の外に取り残され泣きじゃくった。
パニックで立っていられず担任の先生に抱きかかえられて保健室に運ばれました。
家族でも似たようなことがありました。
それは、私を可愛がってくれたおじさんのお葬式の時のことです。
供えるご飯がなかったので、父と母は妹を連れてお弁当屋さんへ白飯を買いにいきました。
私は両親と妹がいないことに気づき探しに外へ出ました。
パニックになりながらあたりを見回すと、父と母にはさまれて両手をつないではしゃいでる妹がこちらへ向かってくる姿を見つけました。
夕暮れのオレンジ色の暖かい光の中で三人の影がなごやかに楽しそうで幸せに見えなました。
そこに私だけがいませんでした。
まるで私だけ存在してないみたいでした。
いまでもその時の感情や情景がリアルに浮かんで心臓握りつぶされるようにキューッってなります。(もういい歳なのに)
置き去りにされていらない子なんだなと思いました。必要な子になりたい愛される子になりたい。
いまでも私は奥底に嫌われてるかもがあります。
疲れてきたり、精神的に余裕がなくなってくると侵蝕される。
打ち消しても、打ち消しても、浮かんだ考えは増殖していく。
実際に嫌われてるかも知れません。
そうじゃないと思いたい。
思おうとする私もいます。
でもうまく関係がつくれない。
誤解されることも多いし、伝え方が下手なので、ヘンな空気が流れてしまう。
noteを書く時も、ネガティブなこと、自分語り、1日に何度も投稿…はよくないから気をつけなきゃ。。
でもどうしたらいいかわかりません。
嫌われないように。嫌われないように。
そんなことばっかり考えてしまい書けなくなりました。
発達障害だということも書いてはいけないような気がしています。
誰かに気をつかわせてしまうから。
障害があってもなくても、みんな生きにくい世の中だし。
辛い人は世の中いっぱいいるのにおこがましい。そんなふうに思ってしまいます。
最近、そういうのは共依存症だと知りました。(他人のことに躍起になる役に立つことで、存在意義を感じる)
共依存か…と絶望的な気持ちになりましたが、1つだけちがうところもありました。
自分のやりたいがあることと、人のために頑張りたくないという自覚があることです。
もうそういうの何も考えずに、自分の好きなように自由に書きたい。
1つずつ手にとってこれはどうかな?書きたい?を感じながら自分の心地良い場所に着地したい。
ふと思います。
共感した人がいました。私が勝手に共感した人です。私はその人から好かれていないかもしれない。
なんだか辛くなって離れようと思いました。
午前中から書くことじゃないかもしれないけれど、私は私で生きていくからそれでいいのかもと思うのでした。
バイバイ、頑張ってた、私。
バイバイ、私のことが嫌いなひと。
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