アフリカの女友達
故郷に帰り、友人たちと民族衣装でポーズをとるタンタ=南アフリカの旧トランスカイ地方で (C)Akio Fujiwara
アフリカにタンタという名の女友達がいた。南アフリカの舞台女優で年は30代前半、よく響く太い声だが、歌わせれば、ややハスキーな高めのアルトで、
♪ハー、アフリカー、ママー♪
と熱唱する、コーサ人の女性だった。
欧州系や中国系の女友達はいた。でも、アフリカ女性には、まだ男の所有物という感覚があるのか、対等な友人関係を築きにくい。恋人になるか、ただの知人のままでいるかだ。女は女同士で固まりやすく、そこに男が入り込み、友情を育むのは容易ではない。
黒人居住区ソウェトに暮らすタンタとは、会うなり意気投合した。会話よりその健康的な風貌、男っぽく、それでいて柔らかな雰囲気に惹かれた。そして、貧民街を訪ねるたび、タンタの家に顔を出した。
舞台女優といっても、いつも仕事があるわけではない。小学生の娘と60代の優しいお母さんと3人で、質素に暮らしていた。
でも、ほんとうのところ、どうやって食べていたのか。それは、まったくといっていいほど所帯じみた話をしない彼女の謎だった。
「どう、暮らしは?」
「ひどいもんよ。……でも、いまの所、どうにか食べてる」
そんな話より、私の仕事の話、私が出会った人々の物語を聞きたがった。トタン屋根の粗末な家や、その裏庭で強い日の光を浴びながら、私たちは男たちと車座になり、コーラを飲みながら話した。話が終わるとタンタはいつも、少し間をおいて「それは悲しい話ね」「そういう男、いるわよ」と、短い感想を私にくれた。
あるとき、男数人とタンタの故郷を訪ねた。その村には、ブランデーを土産に持ってこなくてはならないという風習があった。だがタンタは私にそのことを話さなかった。その結果、村の歓迎ぶりはいまひとつで、結局、私は近くの雑貨屋でブランデーを買わされる羽目になった。
店から皆が集まる場所へと戻る道々、私はタンタをなじった。
「なぜこの風習のことを言わなかったんだ」
「忘れてたのよ」
「そんなはずないだろ」
「言おうとしたけど……」
「言えばいいじゃないか」
「……でも、言えなかったの」
「なんでだ、ブランデー1本のことじゃないか」
「でも、私、お金ないし」
「俺が出してやるよ」
「でも、出してって言えないでしょ」
「どうして」
「私は言えない。そんなこと頼めない」
私はそのころ、タンタともう4年もつき合っていた。親しい友人のつもりだった。なのに、なぜ彼女は一言、「お土産を買わないと」と言わなかったのか。それが不満でならなかった。
「結局、アフリカ女性とは友達になれない。俺が一方的にそう思っていただけなんだ」
私はそんな風に思い、沈んだ気持ちになった。
男の友人たちは「金を貸してほしい」「完全にどん底だ」とよく私に金の無心にきた。でも、タンタは一度もそれを口にしなかった。明らかに困っているのに。
それでも、別れ際、「これ娘さんの文房具代に」とお金を渡すと、いつも涙まじりの笑顔を見せ「ありがとう、ありがとう」と言い、私の名を何度も呪文のように繰り返した。でも、彼女から何かを求めてくることはなかった。
昔の夫や男のことを聞くと、よくこんなふうに答えた。
「アフリカの男なんてみんな一緒。したいことしたら逃げていくだけ。ただのボーイズ(男の子)ばっかり。あてになんないのよ」
その言いっぷりが潔く、男っぽく、私はどういうわけか清々しい気分になった。でも、逆に言えば、金銭にしろ何にしろ、自分からは何も求めない弱さが、彼女にはあった。
諦めの境地だったのだろうか。それとも彼女の持って生まれた性格だったのか。
いくら考えてみても、わからない。
南アフリカを去る前、彼女から電話があった。珍しいことだった。いや、初めてだったかもしれない。
「この前はあなたの家でだったけど、今度は私の家でお別れ会を開きたい」と言う。「ほんとう?」と応じながらも、結局、引越しのゴタゴタで私はソウェトに行けないまま、空港からの電話で別れを告げた。なんとなく、すぐに戻ってこれるような気がしていたからだ。
私は、アフリカを舞台にした「絵はがきにされた少年」という本で開高健賞を受賞した。その賞金の一部を、すぐにタンタをはじめ何人もの友人たちに送った。ちょうどクリスマス前だったので、みな大喜びだった。そして、しばらくして、知人からこんな便りが届いた。
「悲しい知らせです。タンタは2カ月前に亡くなりました。エイズでした。お金はお母さんと娘さんに渡しました。とても喜んでいました」
「え?」という言葉しか出てこなかった。私はしばらく物を考えることができなくなった。
そして、落ち着いたころ、こんなふうに思った。
5人に1人の成人がエイズという環境では、それはかつて結核みたいなものだ。だけど、エイズの治療にはお金がかかる。タンタはどんなふうに逝(い)ったのだろう。
あのトタン屋根の家で静かに息を引き取ったのだろうか。
「助けてほしい」
なぜ、私にそう言ってこなかったのだろう。
でも、言ってくるはずない。それが言えないのだ、タンタには。
(2006年9月、集英社のノンフィクション携帯サイトhippopo連載の「エル・ムンド」24回目に寄稿)