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正反対の行先

写真は10年以上前に撮った近所の木の影。いやにくっきりしているなと思って撮った気がする。

先日、舞台『アンナ・カレーニナ』を観劇した。上演時間が3時間45分(休憩時間20分を含む)という大作にもかからわず、最初から最後まで圧倒されてばかり。演じている皆様も、舞台装置も、衣装も、音楽も、とても素晴らしかったです。
 
以前この場で触れたこともあるのだが、ここ数年、俳優の浅香航大氏の演技が気になっていて、彼の映像作品を拝見することが多い。それがこの度の大作(しかも翻訳劇)にご出演なさるという一報を聞き、喜び勇んでチケット購入に踏み切った。
それがたしか昨年の冬ごろ。観に行くのは3月なのだから、これを機に原作も読もうと決意していた。まったくもって甘い考えだった。そのため前情報は出演者のインタビューとポスターのみ。演出家の方と戯曲翻訳家の方とのイベントもあったようなのだけれど、そちらも参加できないままだった。興味があったので残念でした。

不倫のもつれを発端としたある女性の運命の物語…と、漠然と思っていた作品がそれにとどまらないことが分かり、観劇後にはやはり原作を読みたくなる。
 
宮沢りえさん演じるアンナ・カレーニナは、愛と自由を求めていただけのはずなのに、徐々に孤独に縛られ、精神的にも追い詰められ、破滅に向かっていってしまう。
私を含めて原作を知らなかった観客の方々は(いなかったりして)、彼女の最後を目にしたとき、おそらく序盤のシーンや散りばめられていた示唆に気づいてハッとしたのではないか。苦しみもがく姿は鬼気迫るものがあり、だけどそれ以上にとても魅力的に思えてしまうのがとにかく恐ろしかった。小日向文世さん演じる夫カレーニンが一言も発しない場面も恐怖だった。この家族の場面ではぞっとすることが多かった気がする。
 
一方、もう一人の主人公となるのが浅香航大氏演じるリョーヴィンという青年である。貴族の立場にありながら田舎で暮らし、農地を経営している。農民とも距離を縮めていけるような、素朴で所謂いいやつである。ささやかながら温かい家庭も築いていくことになり、この青年がアンナのような生き様を辿っていったらどうしようと少しそわそわしていた。

ところがいくら時間が進んでも、アンナとリョーヴィンの物語は交差しない。長い上演時間のうち、二人がはっきり重なる時はごくわずか、それも短い会話を交わすだけの小さなものである。しかしだからこそ、彼は”アンナと同じ道を歩まない人間”という非常に重要な役割を担っていたのである。さらには作品の主軸がこのリョーヴィンにあることが後半に向かうにつれ分かってくる。

(正確な台詞を失念していて大変申し訳なく)「わたしたちは別の列車に乗ったのね」とリョーヴィンに告げるアンナの台詞が示すように、二人が辿り着く先は正反対の場所だ。
愛情と自由があると信じて、家族を捨て、必死に進んできたアンナと、疑念を持って愛する人ともぶつかり合いながら一歩一歩信頼を深めていくリョーヴィン。これは妻キティに限らず、実の兄との関係にも当てはまることだった。
そしてキティとの壮絶でコミカルな痴話げんか(?)の場面は、笑いながらも「二人はこの先も幸せに過ごせるのだろう」という希望を感じる。終盤で子どもととも夜空を見上げ、この先のことを話す場面では、その幸せを願わずにはいられない。
この作中では闇落ちとは無縁だった。心底ほっとした。しかしその先はどうなのだろうか。私には祈ることしかできないのだろうかと思いつつ会場を去った。

そして特に印象的だったのが、子どもたちが登場する場面の多さだった。子どもたちは大人たちのやり取りをじっと見つめている。
愛に飢えて今にも壊れそうなアンナのそばで、息子のセリョージャは心配そうにその足元でうずくまる。アンナの目にその姿はきっと映っていない。ただ、彼女は決して子どもをないがしろにしていたわけでもない。むしろカレーニンとの離婚に踏み出せないのは、息子を手放したくないことも理由の一つである。それでも大人の事情に否応なく巻き込まれた子どもたちの存在を、観客は無視することはできない。

ここで描かれているのは古い価値観ではなく、現在にも通ずる人間の営みだった。妻となった女性の気持ちを吐露するキティの姉ドリーの独白は、多くの人に聞かせたいくらいである。そしてそれに答える農民の「それが人生です」という諦観した言葉も。(再び正しい台詞が載せられず申し訳なく)

私の備忘録は作品のほんの一部を切り取っただけのものです。
アンナの物語であることは間違いないのだけれど、リョーヴィン然り、夫カレーニンの心情、ドリーの家庭問題など、着目したい視点が満載なのである。パンフレットへの寄稿にもあるように、アンナとカレーニン、リョーヴィンとキティ、ドリーと夫のステファンという3つの家庭の様相にはじまり、もっと大きな視点に至るまで、あらゆる対比を感じる時間だった。

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