官足法を続けられている理由
5月20日 (88日目)
夏も近づく八十八夜〜・・・という歌がある。立春から88日目というのは、夏へ向けての準備をする日、縁起の良い日とされているらしい。
この日に摘んだお茶は格別とされているとかで、私も少しばかりはあやかりたいものだ。
そもそも私の「88日目」は立春起算ではなく、ウォークマットを踏み始めた「2月22日」起算。奇しくも、猫の日。って関係ないか。笑
官足法を指導してくださった友人は、もう200日以上、毎日足もみをしているという。一日もサボったことはない、と。
一応私も、一日たりともウォークマットを踏まなかった日はない。グリグリ棒やB棒は、その日の体調で使ったり使わなかったりだけど。
件の友人のfacebook投稿を読んでいると、とにかく続けられているのは「死にたくなかったから」だという。死ぬよりも、痛い方がマシだろ、ということだ。
さまざまな症状を乗り越えて、今やご指導の際に相手が痛がるポイントを見つけると、不敵な微笑みを浮かべる官足法の素敵伝道師になられている。
そんな友人の「続けられている理由」を読みながら、ふと、私はなんで続けているんだろう? と考えてみた。切実に続ける理由なんか、私にはないのではないか、と。
今のところ、特に病気があるとかではない。気になる症状などもない。
ない。
・・・本当か?
↑ このとき、何が改善したかって問われて、ひたすらとにかく「メンタル面が改善された!」と連呼したではないか。
改善されたからすっかり調子こいてたけど(笑)実はウォークマット踏み始める前の私のメンタルって、もうボロボロだったんじゃないのか?
だからこそ、痛いんじゃボケー! とか叫びながらでも、踏み続けることができたのではないのか?
自分が本当は辛いんだ、ということすら隠して(というか、気付きもせずに)生きていたのではなかろうか。そもそも、物心ついた頃から、生きてることが苦痛だったし。
小学生にして、将来の夢は「安楽死」と宣言していたし。← この件と、生活保護受給者に対する私の作文を読んで、当時の担任の先生が深刻な顔して家庭訪問にやってきたからねぇ。母親、凍りついてたよw
(ちなみに作文の要旨は「生活保護受給者よりも、我が家の方が悲惨な生活をしています。」というもの。ヤバすぎるw)
「私は絶対に、子どもなんか産みません!」
と主張し続けて、無事に閉経を迎えたし。とある友人に言わせると、
「そんな本能的なところまで否定するなんて、どんだけ傷ついているんだよ!」
とのことで。
そっか。実は私、相当ヤバかったんだなぁ。って気付くの遅すぎ?
ぶっちゃけ、父親からの暴言暴力(さらにセクハラ)にずっと苦しめられていて、でもそれを周囲の人に伝えると、
「親のことを悪く言うなんて、サイテー!」
とか罵られるものだから、もう自分の気持ちなんて抑えて生きていくしかなかったのだ。
そら、しんどいわな。
これまでにその「しんどいわな」な部分を、各種スピ的なワークで、何度もクリアしようとしてきたし、クリアできたと思っていた時期もあった。
しかし、なーんかクリアじゃないというか、しこり的なものが残っていたんだよね。
・・・というのが、ウォークマット踏んでるうちに、すっかり解消してしまったのである。
それこそ、怪しげなスピワークの宣伝文句みたいやけどw
でも、本当にクリアになったなーと感じたのは、もちろん日々の生活の中で感じることがいろいろと変わってきたのもあるんだけど、先述の「復習会」に赴いたときの、私の心境。
お茶会みたいになりそうだったから、お菓子を手土産に参上した。
参加者の人数はざっくり把握していたので、それプラス少し・・・でいいよね、というのが、今までの私の感覚。
だけど、私は、ちょっと多めに持ち込んだのだ。賞味期限が長めのお菓子だからいっか、というのもあったけど、考えたのは
・畳のお部屋って言ってたから、お子様連れの方もいらっしゃるかもしれん。数がギリギリだと、子どもに食べさせてあげたら、ママ(パパ)が食べられないかもしれん。それ見た子どもに「ボク(ワタシ)のせいで、ママ(パパ)が食べられなかった」と思わせたくない。
・余ったら、友人が自宅でお父様とお茶するときにでも出してもらえばいい。
・・・この考え方を見て、別にフツーじゃん、と思われる方も多いと思う。でも、私にとっては全然フツーじゃないのだ。だって、今までの私なら
「大人の集いに、子ども連れてくるとか迷惑!」
「嫌いな単語は、家族!」
ってずっと思ってたからね。嫌なオバハン!(苦笑)
なのに、これらのことに自然に思い至った私、素敵やん!(笑)
と思えるようになったのは、どう考えても、ウォークマット踏み始めてからなのだ。
痛いの我慢して踏み踏みしてるだけかと思いきや、まさかこんな効果があったとは。
現在、88日間、ずっと踏み続けているけれど、今後も間違いなく踏み続けていくと思うよ、ウォークマット。だって、極論言えば「踏むだけで幸せになれるマット」なんて、ほかにある?
私的には、踏まない理由が見当たらない。それが、官足法のウォークマットなのである。