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山頂で温かいごちそうを
朝八時、西武鉄道・飯能駅のバス停留所には長蛇の列ができている。
ほとんどが登山客で、数年前に訪れたときよりも数倍に膨れ上がっている。鮨づめの乗合バスに揺られて四十分。埼玉と東京の県境に位置する棒ノ折という低山に、妻のみみさんと日帰り登山に出かけた。
この行路はぼくの一押しだったので、緑が好きな彼女にもどうにか気に入ってほしいと思っていた。(みみさんと遠出をするのは初めてのことで、彼女自身は登山をするのも久々だったので、お互いのペースや勝手は手探りのところもあった)
曇りの予報を心地よく裏切る晴れ渡った登山日和になり、多めに持って出かけた防寒着の出番もなく、とても汗ばむ陽気だった。
新緑の美しい林道、涼しげな沢歩き、迫る岩肌の鎖場、尾根伝いに吹く澄んだ風、見晴らしのよい山頂。初級者向けの低山でありながらじつに変化に富んだコースを歩けるところが、近年人気が出ている所以なのだろう。(外国人グループをたくさん見かけたのも数年前との大きな違いだった。きっとSNSでシェアされているにちがいない)
山頂では、無印良品のレトルトカレーをガスバーナーで温め、レトルトご飯と一緒に食べた。食後にはハンドドリップでコーヒーも淹れた。山の上で温かいごちそうをとれるのは登山の醍醐味だと思う。山頂のカレーとコーヒーは何度食べてもまちがいなくおいしい。そのために荷物がいくらか多くなっても、こればかりは欠かせずにいる。
久しぶりの登山に苦慮していたのか登りでは無口がちだった妻も、昼食をとったあとの下り路ではいつものように話しながら歩けた。自然の中で身体の感覚が拓いていく気がする、と彼女は言った。
ぼくは道々で彼女の写真を撮っていた。みみさんはあまり歓迎しかねる様子だったけど、「記録用に」と言い訳をしながらも彼女の姿を撮りたかった(もし妻が本当に嫌がっていたならやめていたけど)。
これはアイドルを追うファンと変わらない心理かもしれない。下山して温泉を上がった彼女は、すっかり上機嫌で、さらさらの髪が陽光に映えて美しかった。
飯能市街でビールと餃子を頼んで乾杯する。下山後のビールは何度飲んでもまちがいなくおいしい。そのために帰りがいくらか遅くなっても、こればかりは欠かせずにいる。