美しい紅葉が訪れ、長い冬がくる
その午後、ぼくはいつものようにテーブルで仕事をしている。
同じリビングルームで、妻のみみさんはコンサートの御礼状を書いている。
いつになくぼくは仕事がはかどり、陽が傾きはじめたころに二人分の珈琲を淹れ、焼菓子を一緒につまむ。ぼくはプリンタで御礼状の住所を一枚ずつ印刷する。
その葉書が出来上がると、記念切手を買いに郵便局まで一緒に歩く。
郵便局はひどく混んでいたため、ぼくは一人で図書館に本を返しにいき、無印良品でデカフェ珈琲豆を買って戻ってくる。ちょうど切手を買い終えたみみさんと合流し、葉書をポストに入れてまた歩く。夕食どきになったので、近所の定食屋に寄ってアジフライ定食を食べて帰路に着く。
ぼくはシャワーを浴び、ラウンジルームのソファでくつろぐ。みみさんは友人に頼まれた作業をリビングテーブルで続けている。
そんな一日だった。
何の変哲もない一日である。
間違いなく一年後には忘れているであろう、何事も起こらない平穏な一日を、あえて書き留めておこうと思った。
やがて、短い秋がくる。
美しい紅葉が訪れ、長い冬になる。
そんな日の、別の時空では、ドル円の為替レートが1ドル151円台に突入した。去年の高値を超えるのも時間の問題だろうか。
一年後に果たしていくらで推移しているのか見当もつかない。130円でも160円でも得心しそうである。ぼくらは日本円という通貨が風前の灯であることを否応なく見せつけられている。10年続けた「異次元の金融緩和」の報いを、これから思い知らされる。
一年後にどんな日常を生きているのかも定かでない。
パレスチナではガザの難民キャンプが空爆され、多数の民間人が犠牲になった。ウクライナとロシアの戦争はあいかわらず泥沼化している。東京の夜空はよく晴れていて、月光が街を洗っている。
通貨の価値が著しく失われたときに起こることは歴史から学べる