お金がない楽しさの先へ。映画『PERFECT DAYS』によせて
「お金がない」ことは選べずとも「楽しさ」は選べる、と前回に書いたあと、その続きを考えさせるような映画に、年の瀬になって出会えた。
役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督作『PERFECT DAYS』。
(以下、映画の内容に触れますが、さほどネタバレはありません)
築60年超えの木造アパートで暮らす独居中年の、何も起きない日常をじっくり丁寧に描いている。
夜明けとともに起床し、敷布団をたたみ、植木鉢に水をやり、歯を磨き、髭を剃り、身支度を整え、トイレ清掃の仕事に赴く。玄関を開けると空を仰いで、決まって目を細めて微笑む。アパート前の自動販売機で缶コーヒーを買い、清掃用具を満載した軽自動車に乗り込み、カセットテープの音楽を流し、下町の家から都心の仕事場(トイレ)に向かうため首都高速に乗り込む。そして黙々と公衆トイレの便器磨きに勤しむ。科白はほとんどない。それでも温かみがある。昼食は神社の木陰でコンビニのサンドイッチを食べ、仕事終わりに近所の銭湯で一番風呂に浸かり、浅草駅地下の居酒屋で酎ハイを飲み、布団に寝転がり古本屋で買った文庫本を読んで寝つく。
様式美のような生活のこまごましたシーンを飽きずにずっと観ていられるのは、きっと役者の力なのだろう。外国人の眼に映る東京の光景も美しい。首都高速の滑らかなスロープ、隅田川に映る光の艶かしさ、代々木八幡の緑、下北沢の中古レコードショップ。よくこんなアングルを見つけてくれたな、とハッとさせられるショットがいくつもあった。
上映後、妻とレストランで感想を話した。
「一人称を生きることが、やっぱり幸せなのね」と彼女はいう。
役所広司演じる主人公は、自分の生活のルーティーンを決して崩さない。たとえ来客があろうとも、起床すると寝ている客人の横をすり足で通り抜けて、植木鉢に水をやる。
普通ならそんなときは遠慮しそうでしょ、でも「一人称で生きる」人はそうしないの。と妻が指摘する。言われてみると、いくらか強迫神経症気味な性格に思えてくる。
しかしこれが、幸せの近道ではないかという。
自分の中の優先順位がはっきりしており、それが揺らがないこと。他人や世間に惑わされず、「もうこれでいい」と思わせる恬淡とした開き直りのような生活態度は、観ていてじつに心地よい。
劇中では登場人物の状況説明をしないので、観客が前のめりになって情報を拾いにいき、めいめいに想像を巡らせる必要がある。別の言い方をすれば、想像する余白が多い。ああ、映画はこれでいいんだな、と思わせる大らかな開き直りがある。「大人の映画」はこれでいいのだな。
もしこの主人公を女性が演じるならば、小林聡美がいいのではないかと話した。すると、毎日自炊をきっちりこなして“ていねいな暮らし”をする映画に様変わりすることだろう。(この映画の役所広司は自炊をまったくしない男で、カップラーメンやコンビニフードや居酒屋の外食を毎日繰り返しており、妻は健康状態を案じていた)
妻は映画を観ながら、結婚してから「生活する楽しさ」を思い出している、ことを思い出したと言った。それまでは仕事一辺倒で、「楽しさ」を選べていなかったと。
楽しさを選ぶとは、「一人称で生きる」構えが前提なのかもしれない。
一人称で生きる同士が二人で暮らして幸せを増やせたなら、それは奇跡的な巡り合わせだ。
ぼくがもし結婚以前にこの映画を観ていたら「いつかこういう独居老人になりたい」と素直に憧れたはずだ。でも今は、結婚して「生活する楽しさ」がずっと増えた実感を抱いている。映画の間じゅう大きな幸せを噛み締めていた。