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【ほめ4】それでも生きようとした!

自分の人生を褒めちぎって、恨みも呪いも褒めて浄化するこの企画『根暗のほめ道』第4回でございます。

サラっと前回までのあらすじ。
中学生になった私は不登校になった同級生を誘って友達4人組で青春ぽいものを開始したものの、そのグループは空中分解。
困った!

中学3年生では不登校だった友人と同じクラスになった。
他の二人は違うクラスになったので、これで完全にグループは別れることになった。

私は小学6年生の時、新潟県中越地震の辺りからイマジナリーフレンドを作って、その世界に没入するようになっていた。彼らの物語を世に出すことが自然と目標になり、中学3年生の夏休みから漫画を描き始めた。
結果は2作送って両方入賞一歩手前のAクラスと奮わなかったものの、漫画を描くことはとても楽しく、私はどんどんその世界にのめり込んでいった。

漫画家になりたいと同じように言っていた知り合いは同級生に何人かいた。
その中でちゃんと1作ずつ完成させて投稿していたのは私だけだった。
今冷静に考えると、私中学生の割にめちゃくちゃすごいことをしていたと思う。

絵を描いて同じクラスになった元不登校の友人に見せたりもしたが、
「これ何?」
「人間味がないね」
などと結構な辛口評価を貰い、現実の厳しさを痛感したりもした。
彼女から絵のこと、漫画のことについて褒められたことはなかった。「人間味がない」というのは私のキャラにありがちなことだと今も思うので、彼女は見る目があったなと思う。

夏休みが終わり秋に差し掛かる中、私の周辺では少しずつ変化が表れ始めた。
隣のクラスの男子が、廊下で私とすれ違う時に舌打ちをするのだ。
最初はたまたまだと思った。
しかしその男子は何度すれ違っても私に舌打ちをしている。
時には「キモ」と言われたりもした。

その男子は多分クラスの親分的な人だった。
そういう人がやっていることはみんな真似し始める。
また、親分に嫌われている私のことはみんなが嫌いになる。
実際、クラスで席替えがあったときに私の隣になった男子が「最悪」と言ってきた。他の男子に「俺あの人の事嫌いなんだよね」と言っているのも聞いてしまった。
やがて私のクラスの中でも男子は私を見ると「きも」「しね」と言ってきたり舌打ちをしたりするようになった。

「あいつのことは虐めてもいい」という空気はどんどん伝染する。
女子グループにも「あけみって本当ぶすだよね」と言われるようになった。
どんどん心の居場所は追い立てられていく。
冬へ向かう中、私の学校での楽しみは階段を登るときに右足から踏み出したら左右どちらの足で登り終えるかという自分の中での賭けだったり、給食の時に窓から見える枯葉がいつ落ちるか考えることだったり、自分の中で作り出した楽しみに限定されていった。

友人ともうまくいかなくなっていく。
私が学校で過呼吸を起こしても、彼女は冷めた目で私を見て、心配した素振りも見せなかった。体育の授業の後「お疲れ様」と声を掛けたら「疲れてないよ」と謎の拒絶をされた。
もう、お互い他に関われる子がいないから一緒にいるだけだったんだろう。

「きも」「しね」「ぶす」心が叩かれて凹んでいく。
男子にこんな風に嫌われる自分は女として無価値。
歪んだ認知が刷り込まれていく。
心が、人生が、どんどん歪んでいく。

家で、虐められているからもう学校に行きたくないと訴えた。
「お前がいじめられるわけないでしょ」
「なんでいじめられていると思うんだ。考えすぎだ」
「引きずってでも学校に連れて行くからな」
いよいよ家にも居場所がなくなった。

スクールカウンセラーにも頼った。
開口一番、
「子供の悩みなんて大したことないから」と言われた。
私に手を差し伸べる人はどこにもいなかった。

虐めてくる人たちと同じ学校に行きたくなくて、定時制高校を選んだ。
入学願書を書いて提出した日の帰り、母親が発狂した。
「あんな高校に行くなんて。このまま車で海に飛び込んでやる」
本当にそうしてくれたなら、どれだけ楽だっただろうか。

それでも、私は中学校生活を生き抜いた。
一人で生き抜いたのだ。
友達や担任に冷たくされても、居場所が無くても、誰の力も借りず、生き抜いた。ほかの誰でもこんなことはできなかっただろう。
私はすべてに拒絶されながら生き残った。
すごく頑張ったね。辛かったね。
偉いよ。本当によくやった。
どう言葉を尽くしても、この当時頑張って生き抜いた私を100%労うことはできそうにない。そのくらい深く傷つきながらも生き続けていた。

この企画は続けていくとスキーマ療法に繋がるかも知れないとふと思った。
こうして過去傷付いた自分を肯定していくと、傷付いた体験を書いているときはしんどいけれど、それを受け入れ肯定するときは不思議と心が癒されるのだ。
緊張と弛緩みたいなものだろうか。

そうして、私の人生はまだまだ続く。

では、また次回お会い出来たら嬉しいです。

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