前回までの振り返りと今後書きたいこと
あけましておめでとうございます🎍(もう4日)
さて前回までは、近江国の歴史について、主に六角・京極・浅井の三氏を中心に学んできた。
↓前回はコチラ。
【歴史】六角・京極・浅井氏の歴史まとめ【近江国】|赤田の備忘録
鎌倉時代から織豊期に至るまでの期間には様々な出来事があったが大まかな流れを復習すると次の通りである。
近江国を治めた佐々木氏は相続の際、その領地を四人の息子に分けたが、中でも三男の系統が六角氏、四男の系統が京極氏として力を持つようになった。嫡流は江南の六角氏であったが、一族内では幕府による直臣化や、江北の京極氏の台頭のためにしばしば対立したため、その支配は順調ではなかった。また、それぞれ六角定頼や京極高氏など、高い名声を誇る人物を輩出することもあったが、一族内での内乱や対外関係のために不安定な時期が続き権力は衰退していった。
16世紀に入ると、江北では京極氏の家臣であった浅井氏が力を持つようになり、1560(永禄三)年には野良田の戦いで浅井軍が勝利するなど、次第に構図は六角氏vs京極氏から、六角氏vs浅井氏に替わっていった。しかし、1563(永禄六)年、六角氏内で対立する派閥による暗殺が行われたことで(観音寺騒動)、その権威に翳りが見え始める。
同時期、尾張の織田信長が台頭してきており、1568(永禄十一)年には六角氏を観音寺城の戦いで、1573(天正元)年には浅井氏を小谷城の戦いで破ると、400年以上に渡って佐々木氏一族に支配されていた近江国は、ついに実質的に織田信長の手に渡ることとなった。
※ちなみに早めにリタイアした京極氏のみが、豊臣・徳川政権に仕えたことで最終的に4つの藩の藩主家としてその名跡を伝えている。
その後の江戸時代には、徳川家譜代の井伊氏が彦根城に入り、廃藩置県まで継続してその支配を確立させた。
以上のように、ざっくりと近江国の全体の歴史を学んできたが、それもこの辺にしておいて、次は少し範囲を狭くポイントを絞って、あとちょっとだけ近江の歴史について書いて、次のテーマに移っていきたいと思う。
また今後、扱いたいテーマは次の通り。
・佐々木道誉
・道誉の家臣・赤田栄
・赤田氏の歴史
・蒲生氏の歴史
・近江商人について
その後、近江商人から派生して
・松前藩とアイヌ
・アイヌの歴史
・アイヌと琉球の名前
などを取り敢えず予定している。
長い道のりだが自分で始めたことなので頑張りたい。
今年もよろしくお願いします。