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プチ・リセット

最近よく聞く言葉。グレートリセット。
世界が根本から変わるために、理不尽なことが次々と起こる。
世界がそういう時期に来ているという話が、あちらこちらから聞かれるようになりました。
紛争、侵略、陰謀、政治の腐敗……全てに目を向けたら正気では居られないほど、理不尽なことが次々と起きています。
なぜこんなことになるのか?まともな感覚なら決してこんなことはしない。そういう悪事を主導している人物は、人間の心を無くした悪魔だ!
そんな風に考えたくなるくらい、同じ人間として許せないということもたくさんあります。
けれど、今まで他力本願で、自分の中の正義を振り返ったこともなかった平和ボケの人たちにとって、そういう『騒乱』は無くてはならない、気づきのチャンスとも言えるのです。
最大の悪事は、自分の生活の責任すら取らずに、なぁなぁに、楽に、過ごしてきた平和ボケの人たち。
世界の騒乱は、今一度自分の生活の責任とは何かを見直す、おかしいことにおかしいと気づける心を取り戻す、必然的な出来事という見方もできるのです。

ここのところ、私にも、理不尽な出来事が続いています。
仕事に理不尽さを感じて辞めたのはついこの間だったのですが、今度は長年続けていた趣味の集団内で、私に対してだけ当たりが強くなり、周りから浮いている(浮かされている)ような出来事が続くようになってしまいました。

はじめは、私の思い過ごしかな?と思っていたのですが、私に理不尽な発言をした人が後から謝ってきて、やっぱり冗談ではなく攻撃的なことを言った自覚があったんだ!と驚いたり、みんなが居る場で私に対してきつい発言が行われ、私は半分麻痺していたので、『またか……私に対して言いやすいのかな?』とつらい気持ちを誤魔化そうとしていたのですが、それを見ていた周りの人が「あれは酷い」と気づいて慰めてくれたりと、『あれあれ?やっぱり私だけ攻撃を受けているの?』と思うようなことが続いたのです。
それに気づくと、むしろとても気まずくなってしまって、そんな風に私だけ攻撃される原因は何なのだろうか?と考えるようになってしまいました。

ちょうどnoteにも、これまで学習機会の少なかった人間関係のエクササイズに取り組んでいきたいなどと決意表明していたので、もしかしてこれは自分研究のチャンスなのでは?と前向きに捉え、心の痛みに耐えながらも、果敢にコミュニケーションを取っていくべきだ!と思っていたところでした。

ところが、ところが……
またまた、今度は別の人から全く別のことで攻撃を受けてしまいました。
同じことをやっていても、何故か私にだけ、とてもきつい言い方で『指導』が入るのです。
相手は責任感の強い人ですが、関係性としては同じ立場です。しかしその言い方は、思いやりや気遣いもなく、『わからない子供に厳しく諭してわからせようとしている』ような言い方なのです。
前々からそのような態度を取る人だったのですが、今回は明らかに、別の人には敬意を払い、私には指導するという対応の差がハッキリしていました。
するとまた周りが気づいてオロオロし、私に気遣うという状態になったのです。
そうやって私だけを吊し上げようとする態度は、相手の問題も大きいのでは?と思おうとしたのですが、辞めた職場でも似たような状況があったことを思い出してしまい、やっぱり私のコミュ力が壊滅的なのかもしれないと不安になってしまいました。
気楽に『人間関係のエクササイズになる』なんて言っているどころではありません。

ふと、視点を変えてみました。
もしかして何か強烈な邪魔が入っている?

そういえば、職場を辞めると決意をしたとき、次から次へと理不尽なことが起きていました。
やはり私に対して理不尽な『指導』をする人がいて、「これはこの人の性格の問題だ」と割り切ろうとしたのですが、今度は別のところからも全く意外な『クレーム』が来てしまい、ますますその『指導』がきつくなってしまったという経緯がありました。

言う相手の性格の問題、言われた状況の問題、私自身の性格の問題、行動を起こしたタイミングの問題………
考え出したらキリが無いのですが、それらの攻撃があちこちから飛んで来るため、まともに分析することもできないし、そこから何かを変えようとすることもできません。
右を避けて左に行けば左から攻撃される。
左右を避けて上に上れば叩き落とされる。
そんな状態ですから。

グレートリセット
ならぬ
プチリセット

私という個人レベルで、生活を一変させる必要があるのではないか?
そう思ったのです。

この人には、こういうことに気をつけよう
この状況では、こうやるようにしよう

そういった勘がとてもとても鈍いのは自覚しています。
だからその勘を少しでも鍛えようと頑張っていたのですが、頑張ってもタカが知れているし、頑張った部分以外の至らない点を許してくれるほど世の中は甘くありません。
そうなのです。
私という人間を受け入れられない場がある。それが良いか、悪いかと言えるものではなく適材適所ということです。
それを知らせるためにさまざまな問題が次々と起きる。

ー 早くその場を去りなさいよ、そうしないと『私自身』が潰れるだけでなく、周りの人も混乱してしまうんだよ ー

神様というと、途端にファンタジーのようになってしまいますが、運命や必然というものが確かにあるのではないかと思えました。

その場から離れる決断をしたら、気持ちがとっても軽くなりました。
そして逆に、私に警告を与えてくれた人たちに感謝の気持ちが湧いてきました。
そしてそんな合わない場であっても、その場を体験したことで得たものはとてもとても大きいのです。
我慢という投資で、自分の狭い世界にはないものを知るという巨額の配当金を得られました。
この配当金を元本に、別の投資をすれば良いだけ!
なんだかワクワクしてきましたよ。

私のやるべきことは、人間関係のエクササイズなんて瑣末なことではなくて、人生を作るエクササイズだったのかもしれません。

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