自由奔放が許されない時代
最近、N○Kの朝ドラ、『らんまん』を見始めたら、続きが気になって仕方ない私です。
主人公の天真爛漫さに、ちょっとイラッとしつつも、この人が偉大な学者になるのだという『結末』があるので、まぁしかたないか、と許してしまう。身近にいたら、嫌だなぁなんて思いつつも。(^^;)
少し前に、『ちむどんどん』という、沖縄出身の女の子が主人公の連続ドラマをやっていたのですが、それはそれは、不評を買っていましたね。
主人公の天真爛漫さと、周りの人の破天荒振りがあまりにも度を越していると……。
ドラマに対して、なんでそこまでリアリティを求めるのかな?と、不思議でしたが。
思えば、朝ドラは(私は気が向いた時にしか見ていませんが)そんな設定がほとんどじゃないかな?
他の人とは違う性格、しかもかなり悪目立ちする性格の主人公が、紆余曲折を経て、最後は大成するというパターン。
見る側は、ハラハラドキドキしながらも、主人公のペースに巻き込まれてしまう。
往年の漫画でも、このパターン多いですよね。
だからこそ、『ちむどんどん』がなぜ、そんなに炎上したのか、不思議です。
まったく王道を行くドラマで、ドラマだからこそ、奇想天外でも笑って見ていられるはずなのに。
『らんまん』の主人公の牧野博士は、私は知りませんでしたが、ドラマと似たような破天荒な性格だったようです。
例えば、偉人の野口英世や夏目漱石なんかも、生活場面では、相当変わり者で、周りに迷惑をかけてきたという逸話がありますね。
今観たいと思っている『銀河鉄道の父』という映画では、宮沢賢治の破天荒ぶりが描かれているとか……。
大成を成す人は、身の回りのこと、身近な人のことを構っていられないほど、自分の興味関心に夢中になる。
それほど一点に情熱を傾けられたからこそ、大成を成すことができた、とも言えるんじゃないかと。
私の祖父は、『学者』でした。
でも、うちに遊びに来るおじいちゃんは、ご飯を口の周りに付けて食べるような、ちょっとイカれた感じのじいさん(笑)でした。
ただ部屋にじっと座っていて、ニコニコしているだけで、子どもの私とあまり会話もしてくれませんでした。
代わりに、幼稚園の先生をしていたおばあちゃんがかまってくれたので、おじいちゃんって置物みたいな記憶しかありません。
大伯父は画家でした。
一度大伯父のアトリエに家族で行ったことがあり、絵の説明を両親にしていたのですが、子どもの私には、まったくつまらない話で、絵もただの落書きにしか見えなかったなぁ。
なんだか、キャンパスに折り紙をめいっぱい貼っている絵とかあって、子どもの私でも、もっと良い作品が作れそうだななんて思ってました。
今思えば、草間彌生さんのような人だったの?
名画を抽象画にするとか言って、ベラスケスのマルガリータ王女像の絵を、漫画みたいにしたのを何枚も描いていました。
うん、それで良いんです。
凡人には理解できない世界を生きる。
それが天才!
凡人は、天才が育つ環境を荒らしてはいけないんです。
明治から昭和にかけては、どの人の生活も波瀾万丈だったのだと思います。
だからこそ、天才が何をしていようと、許される空気があったんだと思います。
現代は、多くの人が安定した生活をしている。
そして、不安定な人を見ると、必要以上に恐れる空気ができてしまったように思います。
直接影響を受けなくても、見ているだけで不快感を示す人が多い。
自由奔放にしていたら、通報されてしまうかもしれません。
テレビドラマの主人公さえも、SNSで攻撃されてしまう。
これでは、天才が居ても、みんなでその才能を引き剥がして、無味無臭の人間にしてしまうでしょうね。
ドラマの炎上事件からも、現代社会の異常さがわかるような気がします。
かつての、おおらかな社会に、もどす方法はないのでしょうか?