自己蔑視は強欲
なかなか激しいタイトルになってしまいましたが、目からウロコの気づきがあったので、書き留めておこうと思いました。
以前から、YouTubeで大愚和尚の一問一答というチャンネルを見ることがあったのですが、最近もこのチャンネルで気になったテーマを見つけて、なるほどと思いながら観ていると、ついうたた寝をしてしまい、その間自動的にいろいろなシリーズが流れていたようなのです。
ふと目が覚めた時に流れていたのは、いつものような視聴者の質問に答える形式ではなく、大愚和尚のダイレクトなお説教の動画でした。
仏教で磨くリーダーの才覚『求心力』
大愚元勝
リーダーになりたいなんて思わないので、タイトルだけ見たのでは、この動画を選んで観ようとはしなかったでしょう。
けれどたまたま流れていた動画の途中から見始めたため、タイトルからはわからなかったその内容に惹きつけられてしまいました。
長い動画だったので、何日かに分けて観ていたのですが、見終わって、今私の悩んでいることはこれじゃないか!と気づいたのです。
大愚和尚は、人間は4つの欲求に従って生きていると言っています。
和尚の分類する4つの欲求とは、
生存欲(食欲・睡眠欲・性欲)
集団欲
承認欲
知識欲
だそうで、人間がどうしてもやめられない行動のもとになったり、逆に人生の指針となっていたり、人間のあらゆる行動の原点にこの欲求があるのだそうです。
私が強く持っているのは承認欲求なんだろうなと思っていましたが、この動画を見て、実はもっと原始的な欲求(生存欲)を欲しているのではないかと気づいたのです。
物心つく前の幼い頃に、親から食事のマナーを徹底されたのではないか、それによって好きなだけ、好きなように食べる・食べたいという欲求を抑えつけられてきたのではないかということは、前にも書いたことがあります。
小学校5年生の時に母が働きに出る時まで、私は食が細く食事のペースも遅く、それゆえ給食を時間内に食べられなくて、担任に叱られたり、同級生からいじめられたりしました。
ところが母が働きに出てからは途端にお菓子をたくさん食べるようになったり、食事もかなりの量を食べるようになったのです。
和尚の言う食欲は、衣食住全般への欲求を含むものとしていて、衣食住の確保、すなわち『働いて給料を得なくては衣食住を確保できない。生きていけない』という怖さにも繋がっていて、金銭欲にも通じるものなのだそうです。
だから仕事が続かないことへの不安なども、この欲求が満たされないことの不安なのだと言えます。
睡眠欲は、リラックスしたい、気持ちを落ち着けたいという欲求につながる。
母が働きに出るまで、私は母の目の届くところで生活していたために、この欲求も満たされなかったのです。
母が気まぐれに、私の行動が目につくと叱る。そこに一貫性がないために、具体的な改善方法がわからない。だから母の目の届かないところで好きなように過ごしたくても、それが叶わない環境に居たのです。
母が働きに出た後も、母の留守中にだらしない生活をしていたことがバレると叱られた。母が知らない学校生活のことも、先生や友達から漏れると叱られた。
だからこの欲求はかなり後々になっても満たされることなく続いてきたことになります。
性欲に関しては、母がそういうことを毛嫌いしていたことを察して、自分は恋愛に興味が無い、興味があっても親にバレないようにしなくてはならないとビクビクしていた時期があったことを記憶しています。
今でも性的な情報が流れてくると、それを見聞きしている自分を誰にも知られたくないという怯えが起こることがあります。
つまり人間の3大欲求を、どれも『自然に沸き起こるに任せておくのは悪であり、自戒して封じなくてはならないこと』と思わされてきたのです。
自戒して外に出さないようにすれば良いだけではなく、その欲求を抱いてしまう自分自身が穢らわしいものと感じるようになってしまったのです。
人間である限り、この欲求を持っているのは当たり前のことなのです。
当たり前どころか、持っていなければ人間では無いのです。
もちろんこの欲求を欲求のままに求めてしまったら、社会では問題になります。
食べ物が欲しいからといってお店の物を食べてしまったり、
眠いからといって、公共の場で横になって休んだり、
セックスがしたいからと、見ず知らずの人を襲ったり
なんてことは決して許されません。
躾とは、その欲求をどのようにコントロールしていくのかを丁寧に教えていくものなのですが、未熟な母は、その欲求自体を悪いものとして封印させようとしたのです。
自己不全感と自分への疑心暗鬼か芽生えるのは当然です。
そして周りを見ると、その欲求を何も悪びれず表している人がいる。
大食い大会などの映像は、最初に見た時、本当に驚きました。こんなものを公共で放映して良いのだろうか?と。
なぜあの人たちは、あんなに自分の要求を素直に出せるのか?
うらやましいというより、謎でした。
何もかも抑えこんでしまうと、何なら出して良いのかということがわかりません。
けれど人間にとって生きるために『必要』な欲求なのですから、抑えても反動で強まることは自然なのです。
場合によっては
食欲を抑え込んだ反動が、暴飲暴食、過食、盗み、強盗になったり、
睡眠欲が、睡眠障害、怠け、無断欠勤、アルコール依存、薬物中毒になったり、
性欲が、パパ活、共依存、痴漢、性犯罪、性的マイノリティへの中傷、性風俗関連の問題
につながることがあるのでしょう。
一方で、
その反動が、すべての欲求を上手く抑えられない自分への蔑視、中傷になって現れる場合がある。
それが私なのかもしれません。
人間の持つ当たり前の欲求が湧き出てくるのを抑えられない私は、人でなし
そんな私の考える人間として正しい在り方とは、何なのでしょうか?
結局『人ならざるもの』を求めているのかもしれません。
自分が苦しんでいる『自己蔑視』の感情は、抑圧された『欲求』が最も強い形となって現れたもの。
つまり『強欲』だったのです。