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この道はちがう道?
お正月に体調を崩して、完全復帰(未だに疲れやすいけど)するまでに1ヶ月を要してしまいました。
全く動けないわけでもなかったので、仕事にも行くし、出掛けることも多かったのですが、元気な時のように楽に体を動かせるわけではなく、ちょっと動くと息切れがしたり、微熱が出たりと、なんだか常に不調という感じでした。
前回の記事にも書きましたが、この不調は、これまで無理をして身の丈に合わないことをしてきたからだと思ったのですが、本当に合わなかったのか?合わないと思い込んでいるのか、その辺りの見極めができずにいます。
そこで思い切って仕事を変えようと、別の職種に応募したんですが、書類選考で落ちました!
考えてみたら職種うんぬんよりも、今やっている仕事より勤務時間が長くなること、通勤時間が掛かることで、もし受かっていたらますます体に無理なことをしてしまうところでした!
なんだか、わかったようで、わかっていない私……。
また変な気持ちが起こって間違った方向に進んでいってしまいそうです。
そんな時、知人が自己分析のカウンセリングをしてくれました。
これは今の自分の悩みや気になっていることを書き出して、その原因となっていることを幼少期、あるいは親の来歴まで遡って考えていくというものです。
私には『働く』ということに、独特の価値観とこだわりがあること。
そのこだわりに沿えない自分に不満を持っていること。
そのこだわりは、必ずしも一般常識や社会通念から来るものではなく、親が持っていた独特の思い込みの影響を大きく受けていることがわかったのです。
戦中、戦後生まれの私の両親。
社会の価値観がほぼ180度変わって、それまで日本に根付いていた価値観と、新しく入ってきた欧米の価値観が混乱していて、人によって何を採用するのか全く違っていた時代です。
私の両親の両親も、子どもに何を教育したら良いのか、逆に何をしてはいけないのか分からずに、個々の感覚と価値観で子どもを育ててきたのでしょう。
結果的に私の両親は、変な意味で自分の生き方に自信を持ってしまいました。
多様な価値観がある世の中で、その価値観が間違っているのでは?と指摘されることも無かったのでしょう。
ある意味自由奔放。『法律は自分だ!』みたいなところがありました。
そしてその自信は、子どもへの価値観の押し付けとなっていきます。
他人に非難されようと、理解されなかったとしても、自分の子どもにだけは自分の信じる価値観を信じて欲しい……。
同じ世代の親たちは、こんな風に子育てをしてきた人が多いのではないでしょうか?
そしてまた下の世代が、『私がルール』とばかりに子どもに価値観を押し付けて……。
中学校の通級指導教室の先生が、
「最近は、本人が発達障害や情緒障害を持っている以前に、親が独特の価値観を持っていて、それで子どもが混乱しているケースが多い」
とおっしゃっていました。
学校で暴れたりルールを破ったりするのに、家庭ではとても従順という子も増えているそうです。
戦後の混乱期に、『俺ルール』で生きるしかなかった団塊の世代。
その団塊ジュニア、そしてまたその下の世代と、多くの人が『俺ルール』至上主義で生きてきた日本社会。
広い世の中の情報を客観的に伝えるべきマスコミも、実は経営者の俺ルールで成り立っていたことが暴かれた昨今……
いったいこの世の中の何が社会通念であり、良識なのかわからない。
私自身も控えめな『俺ルール』に縛られてきた1人だったのだなーとつくづくわかりました。
まだ『俺ルール』が抜け切れていないのに、何か新しいことを見つけようとして失敗したのかもしれません。
この道が間違えているのかどうか……
ある程度進んでみないことにはわかりそうにありません。