美しく立派でありたい
自分は謙虚な方だと思っています。
美しくないし、地味だし、自己主張しないし、他人を優先するし、言いたいことの半分も言えないし……
一方で、そんな自分を否定している自分がいます。
私だってメイクを工夫すれば美しくなれるはず
本当は注目されることが好き
他人のことより自分のことの方が大事
他人のために我慢するなんてあり得ない
小さい頃からこの乖離に悩まされてきたような気がします。
自分の意見を言うとワガママと叱られる
友達と違うことをすると「もう遊ばないよ!」と脅される
私よりきょうだいの方を優先した方が親の心象が良い
他人の悪口を言ってはいけない
自分を優先させてはいけない
言語化すると複雑なのですが、なんとなくぼんやりと、そんな恐れの中で生活していた記憶があります。
つまり、自分をなるべく目立たせないようにしながらも、うっかり地を出して誰かに叱られないように注意しなくては!と、ぴりぴり、おどおどしていた記憶が……
自分の本当の魅力を知る機会もありません。
自分に何が出来るのかを試す機会もありません。
そうやって自分には全く魅力が無いのだと無理に思わせようとしてきたことは、本当に諦めがつくわけではなく、もしかしたら別の自分になれる機会が偶然訪れるかも?という妄想を大きく膨らませることになってしまいます。
こうして、表面上は地味で生真面目に振る舞いながら、心の中では美しく派手やかで大勢に賞賛される自分を思い描くようになっていきます。
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「鏡を見てはいけないよ!
どうせお前は不細工で器量なしだから、鏡を見たらショックが大きいだろうよ」
と、意地悪な母親が言いました。
娘はその言葉を信じてきたのですが、鏡を見たい衝動がどんどん強くなります。
ときどき、割れたり曇ったりしている鏡を見てみるのですが、映りが悪くて自分の姿がよくわかりません。
やがて娘は、「きっと私はたいへんな美女なんだ!だから逆の意味で鏡を見たらショックを受けるんだ」と妄想するようになります。
母親の言うことが真実だとしたら、自分は生きている価値のない人間だと認めなくてはいけなくなってしまうからです。
娘にとって、ー『平凡』『中庸』ということがあり、多くの人はその世界に生きているということー がわからないのです。
世の中は、美しいか醜いか、大勢の人に慕われるのか嫌われるのか、その二者択一でしかないと思っているのです。
そして娘は、自分に生きる価値を見出すために、まだ見ぬ自分の姿が最高に美しいのだと妄想するようになりました。
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童話調にすれば、こんな流れになるかもしれません。
そして勉強をして資格を取り、それなりの職に就いたものの、そもそも自分の魅力というのが妄想の域でしかなかったために、今度はそれが『仮面』に過ぎないと思うようになり、
インポスター症候群
に悩まされることになります。
インポスター症候群
自分の成功は、単なる幸運やタイミングのせいとして見過ごされるか、実際より能力があると他人を信じ込ませることで手に入れたものだと考える。 Wikipediaより
インポスター症候群の人は、外見的に成功者であるが本人はそう思っていないというケースが多いのですが、私の場合、外見的にも成功しているわけではなく、それがわかっているので見せかけの成功を作り出そうと取り繕ってきたことがほとんど。
だからハリボテの自分がバレそうになるとハラハラしてその場から逃げたくなったり、みんなが私の正体をすでに知っていて知らないフリをしているだけではないかと疑心暗鬼になったりしてしまうのです。
理想の自分になるためには、明確な目標を立てて努力することが必要。→
しかし理想の自分になどなれるはずがないという自信の無さから、少し嫌なことにぶつかっただけで努力を放棄してしまう。→
理想の自分になれない悲しさや悔しさが溜まっていく。→
表面だけでも理想の自分だと見せかけようと、取り繕う努力をする。→.
自分の姿が偽物だとみんなが気づいているように思えて辛くなり、その場を逃げ出す。
ずっとこの悪循環の中にいるような気がします。