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やりたいこと、やりたくないこと

自己肯定感を上げるために、自分のやりたいことを優先しよう!
なんてことが言われますが、自分のやりたいことって何だろうか?と改めて考えたとき、本当の私がやりたいこと、やりたくないことがわからないことに気づきました。

勉強は基本的に嫌いです。
でも、興味のわいたことをとことん追求するのは好きです。
しかし興味のわいたことも、数年前は全く興味がわかなかったことだったり、かつて興味があって夢中になって勉強していたのに、今はさっぱりということも多いです。
これは好きと言えるのか?嫌いなのか?

そんなふうに、私が本当に興味関心があるものは何だろう?と考えると、思いつかないのです。

またまた生育歴に戻って考えると、母は私が自然と興味を示したものについて、これは(母の考える)将来に役立つものか、役立たないものかを振り分けて、役立たないものについてはやることを禁じました。

思い出す限りで言えば……
6、7歳のころかな? 私は仮面ライダーや戦隊モノが大好きで、夢中で観ていたのです。テーマソングも覚えて、よく親族が集まる場所で披露したりしていました。
その頃放映していたギャグアニメなどにもハマっていました。
特撮や楽しいアニメが大好きな子どもだったんです。
ところがある時、母からそれらを観ることを禁じられました。
理由は、戦隊モノや仮面ライダーは女の子が観るものではないから。ギャグアニメは馬鹿になるから。という理由でした。
今の時代なら、とても差別的で偏見に満ちた意見で、母の方が世間から叩かれそうですが、幼い私は特に反論することもできず、母の意向に従うしかありませんでした。
戦隊モノや仮面ライダーは男の子しか観ちゃいけない番組で、ギャグアニメを観続けるとおバカになるのだと本気で信じたのです。
それから『由緒正しき』番組を観なければとおもうようになりました。

すると自然と、戦隊モノを観ている男子は暴力的、ギャグアニメを観ている子はおバカという偏見が生まれます。
自分が観たいのに観られないものを観ている人がうらやましいのですが、その気持ちが高じて、戦隊モノやギャグアニメを『くだらない番組』と蔑むようになってしまいました。
いつのまにか、それらが嫌いなものになってしまったのです。

こんなふうに、幼い頃に刷り込まれてしまった価値観が、複雑に入り込んでいるため、本当に自分が好きだったものがわからないのです。
自分の心の底から発した楽しみを親に否定されると、それに怒りを覚えるのではなく、そういうものなのだと取り込んでしまうのが、幼い子どもです。
こうして母は、私が心から欲したものを、マイルドに否定してきたのです。
強制的ではなく、マイルドだったからこそ、「お母さんは、これをする私を嫌うんだ。だから嫌われないようにこれをしないようにしよう」と忖度して、自分が嫌いだと思い込んだものはとても多いと思います。

小学校の高学年になる頃には、自分から興味がわくものがなく、友達に従って興味のあるフリをしていました。
中学に入ってますます、芸能人の話やテレビやラジオの番組など、あんまり興味がわかないけど付き合うしかないようなことばかりになっていきます。
そのうち、今これを知っておいた方が得だろうという『損得勘定』から趣味を作り上げるようになっていきました。
なのでますます自分の興味関心がなにに向かうのかを、自分でも自覚できなくなってしまったのです。

小さい頃に戦隊モノが好きだったから、やはり戦隊モノのような番組が好きなのではないか?
いえいえ、一度興味関心を失って、さらには拒絶までしたものを、再び楽しいと思えることはありません。
無理をして楽しさを思い出すことは、自分の本心では無いのだと思います。
もちろん、それを否定することまではしなくなりましたが。

こんなふうに、親が子どもの趣味をコントロールすることの罪深さを、大人になって実感しているのです。
心のどこかで、無邪気な私を否定された悲しさを感じているので、今の子どもたち、若者たちの趣味や嗜好が、私には理解し難いなと感じても、一緒に楽しもうとすることを心がけています。
それはそれで、一つの生き方の指針になっている。

しかし相変わらず、自分のやりたいこと、やりたくないことが、わからないのです。

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