なぜ、他人の個性を認められないのか?
タレントのりゅうちぇるさんが亡くなった。
りゅうちぇるさんの個性や生き方は、後にも先にも無く、パートナーのペコちゃんの生き方も、今まで知らなかったような生き方を歩んでいて、私はすごく好きだった。
まだ若いのに、家族として、親として、本当に誠実な人たちだなと、尊敬もしていた。
世の中に多く存在する『家族のテンプレート』が当てはまらないからこそ、自分たちだけの家族像を作り上げようとしていて、おそらくりゅうちぇるさんたちのように生きたいと思っている人がたくさんいると思うから、その先駆けとして幸せになってほしいと注目していた。
そんな新しい生き方をする人たちを、この国はよってたかって、潰そうとする人たちが多く存在するという事実に、とてもショックを覚えている。
刑法で罰することのできない『私刑』で1人の人間の命を奪うことができる。
この事実が、どれほど恐ろしいことなのか。
これから、自分の個性を貫く生き方をする人たちが出てきても、顔も見えない殺人鬼がよってたかってその人を食い尽くしてしまう。
いつ自分がその餌食になるかもしれないと思ったら、本当の個性など表に出すことが出来なくなり、テンプレートにはめられたロボットのような人間ばかりになる。
それは紛争の起きている地域と同じくらい、危険で恐ろしい社会だ。
りゅうちぇるさんや、過去に自死に追い込まれた個性的なタレントさんたちが、まるで、社会の見せしめのようになって、多くの人たちの生き方の足かせにならないだろうか?
とても心配だ。
人は、1人として同じ人はいなくて、一つとして同じ人生は無い。
しかしそういう多様性を、飛び出したら叩くぞ!と脅して型にはめようとする集団心理があるとしたら、この社会は、人間がありのままに形作る社会とは違う、何か別の意図があるシステムになっているのではないかと思う。