見方を変えたら……
先日、占いに行ってきました。
どんな集団に属しても、そこで良かれと思って頑張っても、「それは違う!」と責められたり、こちらが誠意を持って話そうとしてもはぐらかされたり、否定されたり……
そんなことが続くと身も心も疲れ切ってしまいます。
それらがいくら生育歴に端を発するものだとしても、結局は自分が相手に誤解を与えるような振る舞いをしていることが原因なのだから私のたゆまぬ努力が必要となります。
あちこちからノックアウトされ続けて弱りきっているのに、これ以上自分の感じ方や振る舞いを変えていく努力などできるはずはありません。
疲れ果てたから、このまま死ぬまで必要最低限の人としか関わらずに引きこもってしまおうか……
新しい何かに踏み出す気力は無いけれど、このままというのも虚しくて、最後の頼みの綱としてスピチュアルなものに頼ってみようかと思いついたのです。
すると、とんでもないことが発覚しました。
超常現象的なものを心から信じているわけではないのですが、私の心があるものに囚われているということが分かったのです。
占い師によれば、現時点で私のエネルギーは、全く0なのだそうです。
それって重症の鬱ですよね。
でも私は動いているんです。動いているけど気力が湧かない。
つまり鬱なのに体力があるから、頭と体が一致していないんですよね。体力があると思っているのは、実は疲れも感じられないほど麻痺しているからかもしれません。
夢遊病のような状態だと思うと、イメージできます。
それではなぜ、エネルギーを消耗してしまったのか?
確かに仕事を二つ掛け持ちしたり、それ以外の地域活動もやっていたり、趣味の会にも参加したり、いろいろなところに顔を出していたというのはありますが、それも割と時間に余裕を持ってやっていたので、長時間のハードワークをしている人に比べれば、全然苦になるようなものではありませんでした。
占い師によれば、私の動き方に原因があるわけではなく、過去に出会った人から『悪い気』をもらってしまい、その悪いものがずっと私の体に憑いていて、エネルギーを奪っていたのだということでした。
こんな話が出てくると、お祓いの祈祷に何十万という怪しげな話になりそうですが、そういうものではなく、私が過去に受けた『イジメ』が、私に原因があったわけではないということを、私が認識できていなくて、ずっと自分に原因を求めていたということなのです。
占い師が具体的に、いつ頃の、どんな風貌の人というのを言い当てたので、私はピンときました。
もう2年以上前に辞めた職場で、私は酷い嫌がらせを受けていたのです。
私が特に何かをしたわけでもないのに、話しかけると無視される。
手伝おうとすると「ここはいい!やらないで!」と拒絶される。目の前で他の人には応援を頼んでいるのに。
他人の失敗を私のせいにされて、みんなの心象を悪くさせられる。
そういえば、トイレ掃除の当番があったのですが、私が当番に入る時に必ずトイレが酷い状態になっていて、掃除が大変だったことがありました。あまりにも続くので、上司に言って、対策を考えてもらったくらいです。
その時周りの人も、私が当番の時だけになぜそんなことが起きているのかわからず、はじめは同情をしていましたが、あまりにも続くので、私がよほど運の悪い人なのねと半笑いしている状態でした。
そんな状態で1年半。
本当に居心地が悪くて辞めたのですが、私はこの時、たった1年半しか続かなかったことを情けないと思っていたのです。
面と向かって嫌味を言われたり、目の前でトイレを散らかされたり、明らかな濡れ衣を着せられたりしたわけでは無いので、このくらいの行き違いはよくあること。
それなのに自分はコミュニケーション力が無いために、みんなの輪に入れず浮いてしまう。しかも仕事も的確にこなせないので、失敗が多いために他の人の失敗も自分のせいにされてしまう……
嫌な職場ではあったけど、自分にコミュ力があって、仕事がテキパキ出来ていたら、こんな目に遭わずに済んだ。だから次のところではもっと明るくコミュニケーションを取って、テキパキと動くようにしよう!と思っていたのです。
結果は、そう簡単に自分が変わるわけではなく、同じような動きしかできません。
だから嫌なことがあるたびに「ああ、また同じ目に遭うのか。反省が足りなかった!努力が足りなかった!」と自分を責めてきたのです。
そうです。
発端となった職場の『イジメ』は、占い師が見た『元凶の人物』によって、巧妙に仕組まれたものだったんです。
占い師によれば、本人が直接手を下したわけではないけれど、私をいじめたい、吊し上げたいという『怨念』のようなものを実現させるような力がある人だったそうなのです。
相手がなぜ私をターゲットにしたのか分かりませんが、私が入職する前にもターゲットになっていた人がいたので、誰かれ構わずターゲットを選んでその人1人を攻撃するようなことを繰り返していたのだと思います。
つまり、たまたま流れ弾に当たってしまったようなのです。
自分ではそこまで実感していなかったけれど、その職場での出来事は、私の人生史上トップクラスの悲劇だったわけです。
幼少期に自己肯定感を育ててもらえなかったことは、護る鎧が何も無いことを意味します。
鎧も無ければ、敵を見極める力も無い。
丸腰で敵陣に行って、敵と親しく話そうとしたらいきなり撃たれてしまった。
それでも自分の振る舞いが悪かったのではないかと自分を責め、また丸腰で敵陣に行く。
また撃たれて、「自分の何が悪かったのだろうか?」と悩み続ける……
身体はボロボロ、心はズタボロ
外からも内からも自分を攻撃していたわけです。
そしてもう敵陣に行く必要が無くなっても、敵陣で撃たれない方法を思いつかなかった自分を責め続け、別の敵陣に、のこのこと出向いていたのです。
見方を変えたら、なんと滑稽なんでしょう。
占い師にはその場で悪い気を落としてもらったのですが、見方を変えられたことが今後の生き方に大きく影響しそうです。
占い恐るべし!