もったいなくて使えない、なんて言ってる場合じゃない。使わない方がもったいないぞ!!
「もったいない」と言って使う機会を失うことは悲しい。筆者にとって、大事にケチって使ってた調味料にカビが生えてたときがそれだ。しかも、やりがちである。キミも思い当たることはないだろうか。
今回は、「もったいない」が口癖だった義母の話を起点に『物の価値』を考えてみた。断捨離論にも近い話だが、彼女と似た性質の人にぜひ読んでいってほしい。
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妻の実家に居候して早9ヶ月。義母が亡くなってそろそろ1年が経つことになる。
居候させてもらうに際して義母の遺品整理を妻とやったのだが、大変だったのを覚えている。妻も義父も知らないブツが出る出る。特にキッチン周りで多く出てきたのが、「お客さん用の上等なお皿」だ。
あぁなるほど、わかったぞ。「日常使いだともったいない。かといってお客さんもそう来ない。なにより使わずにいたら古臭くて使いづらい。いっそ捨ててしまえば気が楽かもしれないが、それも忍びない。仕方がないから放置している」と。
レシートと一緒にあった真新しい皿を見ると、義母は結局一度も使えず亡くなっていったようだ。
当初は「(どんぐりを地面の中に隠しておいて、結局忘れてしまう習性から)なんだかリスみたいな人だなぁ。」と思ってたが、遺品整理を進めるうちに「あ、これは絵本の傘オジサンだ。」と腑に落ちた。
絵本『おじさんのかさ』とは
絵本「おじさんのかさ」は「100万回生きた猫」でおなじみの佐野洋子による1974年の作品だ。
大切な傘が濡れるのをいやがり、雨の日も決して傘をさそうとしないオジサン。そんな彼が、雨のなか傘をさして楽しむ子どもたちをみて「あ、俺も差してみようかな」と行動にでて、最後には傘の楽しさを見出す話である。子供の頃も楽しかったが、もしかしたら大人になってから読んでみても楽しい絵本かもしれない。
この絵本の良いところは「モノにはモノの役割があり、その役割を果たさない限り価値がない」と諭してくれるところにある。なかなか合理的な本だ。以下解説しよう。
モノにはモノの役割がある
モノにはモノの役割がある。「おじさんのかさ」を考えると、傘の役割は『雨を防ぐために差すもの』である。傘は雨が降ったときに差すことにより、その役割が果たされるのである。
これはなんにでも言える。服は「身につけるもの」、酒は「嗜むもの」、ポイントカードのポイントは「使うもの」など。ここまで書くと、思い当たる人も多いのではないだろうか。
ここで重要なことは、モノは使うときに価値が発揮することである。例えば、服は持っていても着なければ無価値である。服によっては飾ることによってインテリアとして価値が出るものがあるかもしれないが、クローゼットに閉まっていれば無価値である。所有すること自体に価値を見出す人もいるが、その服本来の目的が「身につけるもの」であるならば、彼はその服の価値を正しく発揮できていないと言える。
もちろん「使用しない」人の言い分はわかる。もったいないのだ。そんな人には、全てのモノは消耗品であることを念頭に置くことを勧めたい。
全てのモノは消耗品である
義母が皿やコップを使ってこなかった理由も、おそらく「もったいない」だ。コップは使うと茶渋がつき、皿も使うと使用感が出てしまうので、イザってときに使いたかったのだろう。
これもまた他のモノに当てはまる。洋服は洗えば減るし、酒も栓を開けた瞬間から風味が落ちる。大事な傘だって、使っていればいずれは壊れるのである。
消耗という言葉が悪いのかもしれない。ヒトがモノを消耗したとき、それは「そのモノを使える回数が減った」と考えがちだが、相対的には「そのモノが価値を発揮した回数が増えた」とも捉えれるのである。
なので、モノが壊れるまで使い切ることは「モノの価値を最大限に発揮したこと」であり、もったいないと言わずにどんどん使ったほうが、そのモノにとって価値が上がるのである。
使わなければ無価値である。どんどん使おう
こんなことを言いながら、筆者にもなかなか着れない洋服があった。大学時代に購入したジャケットだ。
本人としてはちょっと背伸びをした大人っぽいアイテムであった。当時ジャケットを着ていく場所と似合うパンツを持ち合わせていなく、クローゼットの中に放置していたのだが、先日開けて見てみたら「あれ、これはダセェな」となったのだ。
一度しか着ていないジャケット。ダサくて仕方がなのだが、これまでとっといた意地がある。結果、私は部屋着で使ってから捨てることにした。「あぁコイツはこの日のために押入れで待機していたんだ」と思うと気分が良い。これまで目的を果たせていなかったジャケットに、最後にして価値がついたのである。
私と同じく部屋の片隅に使わずに放置しているモノがある人は、参考にしてみてはいかがだろうか。そこに置いたままでは、価値なんて全く無いぞ!?どんどん使おう。(そして、もう使う価値すらないなら捨てちまおう。)
【最後に】人はいずれ死ぬ。使わずに死ぬより、使って死のう。
大きな話になってしまうが、人はいずれ死ぬ。こればっかりはどうしようもない。
義母の話に戻すと、彼女は大切にとっておいた皿やコップを使わずに亡くなった。亡くなった人に書くのもなんだが、彼女は普段から使えばよかったのである。とても良いお皿なので、使っていたら料理上手の義母のごはんがより美味しく感じたであろう。今では私ら夫婦が日常的に使わせてもらっている。
・・・さてここまできて、キミにも思い当たる放置したモノはないだろうか。
キミも「いつか使うつもり」なんて言うんじゃないだろうか。
”いつか”は本当にくるだろうか。本当はキミもわかっているんじゃないか?
そんなことを言っていると死んじまうぞ?
死んじまう前に、使ってしまおう。
そのモノの価値が見いだせれるうちに。
記事:アカ ヨシロウ
編集:円(えん)