【アイヌ】レラ編 カムイ(神)を考察
筆者は俗にいう和人ではある(と認識している)が、本当のルーツはわからない。
わかっている家系図では、6代ほど前から続いているのは確認ができている。
今は北海道に住んでいるが、ルーツは熊本県天草。両親も天草だから純血だとは思うのだが、ご存じ天草は”キリシタン”が多かった時代や、天領直轄時代も長く、勝海舟も立ち寄ったことがあるらしい。
今でこそ、世界遺産に登録されたり観光地としても注目度が高いので
この夏是非時間を作ってみても面白いかも!
さて話を戻すが、北海道に住み始めて以降、
アイヌに触れてみて発見がとにかく多いのだがレラ(風)の変化を昔からよく感じる。海風で育ったから余計にかもしれないが、香りというか匂いというか
都会の匂いと田舎の匂いとか、
季節の花の匂いとか、伝わってくるレラ(風)を五感で感じる。
ちょっとスピってるとか言われるが、筆者にはその感覚は生憎ない。
生きていることに疑問を感じたこともあるし、一方でなぜこの時代なのかと自問自答し続けた日々ももちろんある。筆者は、カウンセラーの資格取得で色々な心理学にも触れてみたのだが、自分を含む世界は、自己概念の塊である。
自分の【内】と【外】で、この世界をどう捉えるかで自分らしい人生であるのか、他人事の世界なのかが変わる。
【時代は変化する】【変化に適応できない種は絶える】
これは否定的な考えというよりも、どちらかといえば自分にも教訓になっているのだが、”ホモサピエンス”は元々種族を滅ぼして生き延びているという事実がまずある。
そうやって、古代から現代にいたるまで、争いを繰り返し、今の世の中があるのだが、ご存じ争いは世界では起きている。日本は今でこそ、平和と言われているものの、ほんの数十年前迄は空襲もあったり、この日本国内だけにフォーカスを当てれば江戸時代は平和というものの、蝦夷地(ここでは北海道を指す)では、和人による侵略、アイヌ民族同士の争いはずっとあった。
さらに明治黎明期以降の同化主義における、文化の転換は知る機会がないと外から見ると”他人事の世界”のままだった。
この事実は、変化に適応できないというよりも、抑圧を与える方に問題があったと筆者は見ている。
なぜなら、アイヌの中でも和人と交流ができていた地域もあるという。
人はコンフォートゾーン以外の事が起きると”反応”するから無理もないが、居心地が良ければいいほど、”手放し”たくないから、争いに繋がっていく。
元々鉄がなかった蝦夷地でも、交易によって鉄器は入ってきたため、産業能力は向上したといえる。それは縄文弥生時代の大和国(ここではあえてこの表現)も同じであったはずだ。
アイヌでは”神(カムイ)”の捉え方が和人違う。違うというか、和人の方が変わった可能性がある。
どちらかといえば、縄文時代の古代日本は、
■石・木・水 太陽などなどに精霊が宿っていた ←つまり多神教
と考えられている。
その後、狩猟採集から、農耕への生活環境変化争いが生まれたと考えられているがその後時代が一気に飛ぶから(約1000年笑)、経緯はわからないが、次に仏教で争うことになっていることから推察するに、この部分から 神?仏? の価値観【捉え方】が変わったことには変わりない。この頃には稲作が相当に日本各地に広まっていたとされているからだ。
ただし、まだこの時代は今の関東圏以東北は、大和 ではなく、 蝦夷(エミシと読むがエゾとも読む) と総称されている。したがって、
九州・中四国・近畿圏域 ⇨大和(のち日本)
関東以東北 ⇨蝦夷(名称不明)⇨大和に与しない属
だったと考察する。しかし、元を辿ると、同じ縄文の文化もたくさん北海道にはあり、大和が日本という名称になるころ(中国では隋や唐)も、狩猟採集社会であったそうだから、DNA で見ると、九州や東北は縄文系のゲノム分析になっている。
※北海道は、開拓や移民の影響により以下の図では青色が見えないが、
青色⇨縄文系
オレンジ色⇨渡来人(大陸人) とされている。
邪馬台国は九州にあった!と言われて久しいが、おそらくだが、
筆者は
①大陸から渡来人がやってきた(縄文から弥生)
②その過程で東へ東で移動し、今の奈良県あたりでおちついた
③その際、九州南部と、関東以東北は居住していたエリア(ナワバリ?)
を端へ追いやられた。または違う属が既にいた。
(九州の熊襲や、隼人 という属
東北のエミシ(と呼ばれる)属)
この説は非常に面白いなと思うのだが、この③に当てはまるのが、
九州や琉球、そして蝦夷(エミシの意)は縄文系なのだ。
目がくっきり、毛深い、彫りが深い と筆者は縦断してきたからそれを直に感じている。さらに興味深いのが以下のデータだ
個人的に妙に腹落ちするのだが、狩猟採集社会では男は外にいる機会が多い。家を守るのは女性たちだ。
一方で、稲作社会では男が家にいるのだから、それは威張るのであろう(笑)。なるほど、考え方などもこういう部分にも影響するものか。
話をもとに戻すが、大和が隋や唐に対して、一つの国あることを示したときぐらいに古事記と日本書紀が書かれる。この時に初めて、”神”という存在を現代に続くものとして表現している(否定的な意味はない)。
それまでは、自然にあるもの、存在するもの全てが神であった。
これはアイヌや奄美地域ではこの概念がある。琉球にもあるが、琉球は中国(大陸)の思想と、大和の思想、東南アジアの思想が混ざっており概念がやや異なる(ベースは一緒だと筆者は思ってる)。
古事記では、神は”人”(の姿形)になっている。
ユダヤ教やキリスト教も同じだが。これが日本中に広まったので、”神”の概念がある程度固定化されたようだが、蝦夷には定着しなかったのだ。
これがのちに、”えぞ(蝦夷)”と揶揄される要因になり、その後オホーツク文化が南下し、蝦夷と融合 これがアイヌとも言われている(別の説もある)。
オホーツク文化は、特に熊を神格化しており、この熊には神が宿り、人間界に現れる。
狩りで熊を仕留めたアイヌは、アイヌが仕留めたのではなく、神が人間界に現れ、恵みを与えてくださる。と考える。その為、余すことなく熊を生活に取り入れ、最後はまた神の国カムイモシリに送り届ける儀式まであるから驚きだ。
それをすることで、神が自分達の国で、””人間界よかったぜよ””と他の神に広げてくださり、また神が人間界に降りてきてまた恵みを与えてくださる。
この概念だ。
だから、物を大事扱うし、無駄を極力省く考え方などは実はこのモノあまりの現代社会においては非常に合理的だと思う。その分、神もあちこちに存在しているとどれだけの人類が意識できるだろうか。