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静嘉堂「歌舞伎を描く展」を堪能する

やっぱり今は浮世絵なんである。
今年は大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)に合わせるようにさまざまな博物館・美術館で浮世絵や蔦屋重三郎関連の展示が開催されている。
書籍・雑誌もテレビも同様のテーマのものが目につく。
「にわか浮世絵ファン」を笑う人もいるかもしれないが、こんな浮世絵に接するチャンスを逃すのはもったいない。
だって浮世絵のほうがこっちに向かってきてくれている。
それなら、ということで浮世絵素人だって、いや、だからこそ見に行くのだ。

現在、静嘉堂@丸の内(明治生命館1階)で、「歌舞伎を描く展」が開催されている。先日、内覧会に行ってきた。

展示会名:豊原国周とよはらくにちか生誕190年 「歌舞伎を描く 秘蔵の浮世絵初公開!」
会期:2025年1月25日(土)-3月23日(日)
会場:静嘉堂@丸の内(東京都千代田区丸の内2-1-1明治生命館1階)

■静嘉堂って!?

展示室の入口

そもそも静嘉堂とは、三菱の創業者・岩崎弥太郎やたろうの弟である2代社長の岩崎彌之助やのすけが明治時代に創始した美術館だ。
そして、さらにその子である4代社長・小彌太こやたがその所蔵品を拡充し、今では東洋古美術6500点余り、古典籍20万冊から成るコレクションを誇っている。
あの「曜変天目(国宝)」の茶碗を所有することでも知られている。

■静嘉堂の浮世絵

今回、それらのコレクションの中から、浮世絵の中では「美人画」と双璧を誇るもうひとつの主要ジャンル、「役者絵」が展示されている。
以下の「歌舞伎図屏風」にはじまり、初期浮世絵、錦絵時代、明治の錦絵まで全ての作品が静嘉堂所蔵品で構成されている展示なのだ。

歌舞伎図屏風
紙本金地着色二曲一隻
江戸時代前期 17世紀

浮世絵界の重鎮である三代歌川豊国(国貞)の作品、そして幕末から明治にかけて活躍して、役者絵を描くことを得意とした「明治の写楽」と称された豊原国周の生誕190年を記念して、彼らの作品を中心にして今回の作品展示の開催と相成った。

横島田鹿子振り袖 浜松屋之場
絵師:三代歌川国貞 大判錦絵三枚続 版元:綱島亀吉
明治22年(1889)6月
ほか

この展示会の作品は前期と後期で入れ替えを行うものがある。
後期には、葛飾北斎、蔦屋重三郎が手掛けた喜多川歌麿の作品も登場する。

■二代歌川国貞と三代歌川豊国(国貞)の絵

歌舞伎について詳しくなくても、浮世絵について専門知識がなくても、美しい絵は美しいし、知っている題材ならばさらに興味も湧いてくる。

個人的に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』が大好きな自分は、『八犬伝』を描いた草紙(冊子)を見つけた。
馬琴の大ベストセラー本を題材にした芝居の役者絵を『八犬伝犬の草紙』という本にまとめたものだ。

八犬伝犬の草紙 
三世嵐吉三郎の犬飼現八信道(左) 
嘉永5年(1852)9月
五世市川海老蔵(白猿)の角太郎が父赤岩一角(右)
嘉永5年(1852)10月
絵師:二代歌川国貞 大判錦絵摺物 版元:蔦屋吉蔵

ちなみに、版元の蔦屋吉蔵とは、蔦屋重三郎から暖簾分けしてもらった版元である。

そしてお次は、豊原国周の師である浮世絵界の重鎮だった三代歌川豊国(国貞)の作品だ。これは、豪華な『役者大首絵』のうちの見開き2ページだ。

四世中村歌右衛門の熊谷直実(左) 万延1年(1860)9月
三世中村歌右衛門の五斗兵衛盛次(右)文久3年(1863年)7月
左右ともに 絵師:三代歌川豊国(国貞)大判錦絵揃物 版元:恵比寿屋庄七 

三代豊国最晩年の作品である。
作品名に見られる熊谷直実は『平家物語』に登場する。
歴史のどこかから見知った人の名前を見つけると、歌舞伎でそういう作品も上演されていたのか、などと浮世絵にもっと興味が湧いてくる。

それにしても全部が浮世絵で埋め尽くされた贅沢な一冊。

■色鮮やかな豊原国周の錦絵

なんてきれいな錦絵だろう。
保存状態が非常によいため、まるで擦りたてのような色鮮やかさの豊原国周の絵。色彩については、現物にまさるものはない。
(以下は観賞用に撮影された写真ではないので、迫力なくて申し訳ないが、ぜひ本物を見ていただきたい)

当世見立凧つくし
絵師:豊原国周 大判錦絵三枚続 版元:伊勢屋藤吉
慶應1年(1865)

次の絵は、今回の展示の広告に使用されている錦絵。
大衆に人気で、「知らざあ言って聞かせやしょう」ときる啖呵で有名な弁天小僧の登場である。屋根の上で追ってをかわそうと大立ち回りしている真っ最中の絵。絵が美しいから、月夜に起きた屋根上での攻防の緊張感がピリピリ感じられる。

極楽寺山門の場 五世尾上菊五郎の白浪五人男の内 弁天小僧菊之助
絵師:豊原国周 大判錦絵三枚続 版元:佐々木豊吉 
明治22年(1889年)6月

面白い仕掛絵の本もある。
『形見草四谷怪談』が描かれているものだ。
中央の男性が持っている血を流している小平という男の顔の絵があるが、その絵の部分に仕掛けがある。パタリと絵の部分が下にめくれると、その下から恨めしそうな顔のお岩が出現するのだ。
舞台においては、戸板の表裏に小平とお岩の死体が打ちつけられたものが現れ、板を返すと瞬時にもう一人に早替りするという「戸板返し」で1人が2人を演じる。それを絵でも表現したところが面白い。

三世市川急増の直助権兵衛、三世片岡我童の田宮伊右衛門、
五世尾上菊五郎の矢頭与茂七、小仏小平・お岩の霊
絵師:豊原国周 大判錦絵三枚絵(仕掛絵)版元:福田熊次郎 
明治17年(1884)

■蔦屋重三郎墓碑の拓本も

その他には、そして、大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎に関連する展示も。

版元の蔦屋重三郎は、江戸は吉原の生まれと育ちだ。
貸本、小売などを商いとするうえに、制作した吉原のガイドブック『吉原細見』などが大ヒットとなった。
その後地本問屋となり、ペンネーム・蔦唐丸で自分でも狂歌や戯作を手掛けるように。蜀山人(太田南畝)、山東京伝ら狂歌師・戯作者と交流し、謎の浮世絵師・東洲斎写楽をデビューさせ、喜多川歌麿の美人大首絵、狂歌摺物などの名作を誕生させた。

五世岩井半四郎
絵師:東南西北雲 大判錦絵 版元:蔦屋重三郎 
文化(1804-18)前期

絵の右側に注目すると、絵師のサインが見える。東南西北雲という名前の下にある落款代わりの絵筆の絵が可愛い。

そして、これは浮世絵ではないのだが、興味深く鑑賞したものがある。
蔦屋重三郎の墓碑の拓本である。

蔦屋重三郎墓碑拓本
石川雅望(宿屋飯盛)による

この墓碑文を書いたのは、石川雅望、またの名は宿屋飯盛やどやのめしもりというふざけた(←褒めている)ペンネームの狂歌師・国学者・戯作者という多才な男だ。

現在はもう蔦屋重三郎の墓碑は残っていない。
ただ、この拓本のみが残された。
貴重な資料のひとつである。

拓本の現代語訳

■最後に1枚

お気に入りの一枚を紹介しよう。
これだ。

五世尾上菊五郎の天竺徳兵衛
絵師:豊原国周/歌川国梅 大判錦絵三枚続 版元:松井永吉 
明治16年(1883)10月

天竺徳兵衛てんじくとくべえというのは、蝦蟇がまの妖術を使って、なんと日本転覆を企んでいるという極悪人。「増補天竺徳兵衛」という芝居では、異国帰りの船頭に扮した徳兵衛と徳兵衛の妖術によって登場したおどろおどろしい蝦蟇が背後にどーんと描かれている。
徳兵衛を狙う槍は1本や2本じゃないのに、彼はそれを恐れる風もない。
徳兵衛を中心とした絵の全体を国周が担当し(写真では見えにくいが不穏な煙も描かれている)、背後の不気味な蝦蟇を歌川国梅が描いた。2人の絵師が分担して1つの絵を仕上げることもあったのだ。

明治の芝居に題を取った浮世絵は、ほんとうに派手で鮮やかだ。
静嘉堂で開催されている「歌舞伎を描く」の役者絵で美人画とはまた違った極彩色の歌舞伎の世界を堪能してはいかがだろう。