授業が目指しているものと、テストが目指しているものを一致させる。
よくある間違い。
〝授業中頑張っているのにテストになるとだめな生徒がいる。かわいそうだから、テストは授業中黒板に書いた通りを出題する。そうすれば、授業で真面目にノートをとった生徒が報われる。〟
というやつ。
これはだめだ。
授業のねらいとテストのねらいがずれてしまっているからだ。
授業では曲がりなりにも〝理解〟を目指しているはずなのに、テストでは暗黙のうちに〝理解無用の丸暗記〟を推奨してしまっている。
テスト(特に定期テスト)では、〈授業中、真面目に〝理解〟を追求したのなら、その過程で当然知り得るはずのこと〉を問わなければならない。
さて、そういう授業・テストができているならば、何かと話題の「主体的に学習に取り組む態度」の評価も簡単である。
テストの出来こそが、「主体的に学習に取り組む態度」のあらわれだからである。
「「主体的に学習に取り組む態度」なんて、どうやって評価したらいいんだ?!」とはよく聞かれるせりふだが、恐るるに足らず。
「〝主体的に学習に取り組む態度〟をどのように評価するか?」は擬似問題に過ぎない。「態度」はまさにその「態度」の所産で評価するほかないからだ。