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発達障害と柔軟性1
一般的に発達障害は拘りが強いという特性がある。
私は発達障害よりも精神疾患の方での生きづらさが先に出てしまっていたので、鬱、パニック、双極性障害と心療内科で診断を受けたけれど発達障害に関してはいまだに自己認識にとどまっている。
それは、一度長年通っている心療内科の先生に私の発達障害の可能性の話をした時、担当医から「今更その事に関して検査する意味はあるのか?」のようなことを言われてしまったからだ。
それは私が45歳ぐらいの時だったと思う。
発達障害という言葉自体が日本で広まって来たのがここ10年ぐらいで、私が初めて発達障害の「アスペルガー」という言葉を聞いたのは確か20年前だ。それも、その言葉を教えてくれた人は海外で子供たちと関わる仕事をして来て、その中で知識として知ったという。従来の自閉症とは違うのだとその人は言っていた。
なので、20年前の日本では「アスペルガー」という言葉自体、一般的ではなかったと思う。
発達障害の拘りの強さと精神障害が重なると、とてもめんどくさい話になってくる。私自身がそうなのだけれど、そこに幼少期の家庭環境、家族からの虐待や生育過程での長期的な問題が絡んでいるから尚更だ。
私は幼少期で既に躓いてしまっている。幼稚園の時に既に私は自閉的で抑うつ状態であったそうだから。
多くの虐待サバイバーもそうであるように普通に暮らそうとしても成長して行く過程で精神や体調を崩しやすく、そこで自信を失くしたり人を信頼出来ずだんだんと認知の歪みも出て来たり、それに本人は気付かずに大人になり年を取ると自分の拘りの強さは果たして発達障害のせいなのか、過酷な環境の中で形成して来たものなのか分からなくなる。
それを専門機関で検査すれば凹凸が著しい場合ははっきりするかもしれないけれど、そうでなかったとしたらどうだろうか?
私の主治医が「今更・・・」と思ったのも頷けるような気もしてくる。
その時、私は既に双極性障害で精神福祉手帳を持っていたからこれ以上障害を増やしてどうするのだろう?と思ったのだろうか?
拘りの強さに柔軟性を与えるには、まず自分自身でその事に気付かないといけない。失敗を繰り返しながら学んで、人と繋がって行くしかないだろう。
途中で休んだとしても、諦めなければ前へ進めるはずだから。