つれづれ雑記*お酒は大人になってから、の話*
何度か書いたことがあると思うが、私はお酒が飲めない。恐ろしく弱いのだ。
私の父は、昭和を絵に描いたような酒豪だ。
働き盛りの40、50代の頃は、毎日、仕事から帰ると、夕食のおかずをアテに夏はとりあえずビール。それから日本酒のぬる燗を1合、その後、米飯とお味噌汁を食べて、最後にウイスキーの水割りで締める。
休日の前夜や季節によっては、ぬる燗が2合になったり、水割りが2杯になることもあったように思う。
このときに日本酒を電子レンジで温めて燗したり、グラスにウイスキーと氷を入れて水割りを作ったりするのを、よく私が仰せつかった。
ウイスキーは私の指でシングルを測ったので、ちょっと薄過ぎないか、と父からよくクレームをもらったことを覚えている。
父は某重工業の現場でチームを率いて長く働いていた。
半世紀ほど前、盆と正月には部下の若い衆が数人、多いときは10人近く、我が家にやってきて飲み会をしていた。
若い衆はほとんどが寮に入っている単身者。遠慮など全く無しで、よく飲む、よく食べる。
今から思うと、母は本当に大変だったと思う。とても母1人では手が回らないので、私も子どもながら少しだけ手伝った。(お正月にはお年玉をもらえることもあったので、それが目当てだったこともある)
なので、いろんな酔っ払いを見た。
お銚子を両手にお酒を注いでまわる人、何だかわからないけど隣の人の肩をバシバシ叩いて大笑いしている人、誰も聞いてないのに大声で喋っている人、フラフラしながら立ち上がってよくわからない歌を歌う人、ニコニコしながら1人でちびちび飲んでいる人、座ったままゆらゆらと舟を漕ぎ、倒れそうで、倒れない人…。
いろいろめんどくさかったが、それでもみんな、楽しそうだった。
子どもの私の目には、人って酔うとこんなふうになるんだなあと、とても不思議に映った。
皆が無事に帰ったあとがまた大変で。
茶の間(もう死語ですね)の机の上には、ビール瓶とお銚子の林。ビール瓶は飲み残しが入ったのが結構あって。
酔っ払いというのは、なぜまだ瓶にビールが残っているのに新しい瓶の栓を開けるのか。それが不思議だった。
寿司や唐揚げの残った大皿、食べさしが置いたままの小皿、こぼれた醤油、散乱した割り箸。
その辺で眠り込んでいる父を横へ押しやり、母と2人で片付けをした。
そして、お食事中の方、すみません、トイレがアレだった。(優勝のこと、ではありません)
大人数の酔っ払いが使用したトイレはなかなかに、なかなかだということを、この頃知った。
(彼らの名誉のために言っておくが、汚れていたわけではない。わけではないが、その、臭いがねえ……)
えっと、この辺りで、何これ、あり得へんわー、と思われていないか、少し心配なのだけど。
時代、では片付けられないと思うが、でも、そうとしかいいようがない。今ではあり得ない、そんな時代だったのだ。(ということにしといてください)
こんなのを目撃していても、あまりお酒に嫌悪感がなかったのは、父を含めて皆が気持ち良く飲んで気持ち良く酔っていたから、だと思う。酔ってクダを巻いたり暴れたりするような酔っ払いを見ていたら、そうはならなかっただろう。
さて、『こんなの』を見て育った私。
大人はだいたい皆、お酒を飲むものだと思っていた。
私もあの父の子、飲めないはずがない、と思っていた。
学生になってコンパなどというものに参加する機会があり、最初にビールを飲んだときの第一印象は「苦っ」だった。
確かにキンキンに冷えたひと口目はちょっと美味しいかなとも思えたが、温くなってくるとどんどん苦味が勝り、とても美味しいとは思えなかった。なので、コップの半分も飲めなかった。顔が少し熱くなったが、帰る頃には冷めてしまった。
それから何度か飲み会と称するものにも行ったけど、やはりビールは苦くて、美味しいとは思えない。
ウイスキーの水割りとか、日本酒とかもあったけど、やはり苦い。
大人たちにはこんなに苦いものが美味しいのか。父やあの若い衆たちはこんな苦いものをしこたま(?)飲んでいたのか。
この味が美味しくない私は、大人じゃないのかしらん。
それからしばらくして、女性ばかりの飲み会に行った。
ワインとかカクテルとか、が出てきた。
飲んでみるとワインは少し苦味はあるが果物の味がする。おおー。これがいわゆるフルーティー、ってやつか?
カクテルは…。
めちゃくちゃ甘い。まるでジュース。ちょっと甘すぎるが、確かに美味しい。へえ、こんなのもあるんだー。
そんなこんなで、飲んで(甘すぎてたくさんは飲めなかったけど)食べて(名前も知らないお洒落なお酒のアテは美味しかった)おしゃべりして楽しい時間を過ごしたのだけど、いざ帰ろうと立ち上がり、しばらく歩くとフワフワする。
なるほど、これが酔いがまわるということか。確かに気分が高揚して、いい心持ち、ではある。
みんな、この感覚が欲しくてお酒を飲むわけなのだな。
苦いお酒は嫌だけど、甘いお酒は美味しい。
でも、これはついつい飲み過ぎるだろうし、気をつけないと危険だなと、思った。
さて、こうして甘くて美味しいお酒の存在も知り、これからだー、ということになったのだが、しばらくして、私はお酒は飲まないことに決めた。
え、どうして、って?
気になります?
そう? しゃーないなあ。(いや、別に聞きたくないよ、の声も聞こえるけども)
理由はいくつかあるのだけれど、筆頭は単純な話、ふつか酔い、である。
詳しい経緯は省略するが、ひどい目にあった。
話には聞いていたが、これは、ホントにホントに(大事なことなので2回書きました)とんでもない。
頭に何か打ち込まれているのではないかと思われるほどの頭痛。目を動かしても痛い。横で話をされても痛い。風が当たっても痛い。寝ても起きても痛い。
ずっと耳の奥でグワングワンと何かが鳴っている。
さらに今まで経験したことがないほどの、たとえば船酔い、車酔い、それより、もっともっとひどい気持ち悪さ。
まる半日、何も口に入れられず飲めるのはお白湯のみ。
しかもこれが、したたかに飲んでベロベロに酔っ払って、とかいうならまだしも、(いや、それもどうかと思うが)飲んだ量はまったく大したことないのだ。
この経験でわかったのは、私には昭和の酒豪、父の血は受け継がれなかったということだ。
言ってなかったが、母はまったくお酒が飲めない。奈良漬でも顔が真っ赤になる人だ。
私は、ここまでではないが、こちらの血をひいたらしい。(今さら、かい)
それからは飲み会では、乾杯のビールをひと口ふた口だけ飲んだ後、ジュースをちびちび飲みながら酔漢たちを観察するのを旨としていた。
ただ、父たちの酒盛り(?)を見て育った私には、彼らの飲み方はあまり上手には思えなかった。それも、女子がいるときはまだましだったようだけど、2次会から3次会、最後は下宿に集まって男子ばかりで飲んだときは、結構無茶な飲み方をしているらしいと後から聞いた。(救急車が出動したこともあるとかないとか)
お酒は健康面で弊害もあるし、いろいろ問題があると言われるけれど、結局は飲む人次第なのだ。
お酒そのものに罪はない。
お酒は「大人」が飲むもの。
自分の責任で大人の飲み方ができない人は飲んではいけない。飲ませてもいけない。
そして、この場合の大人はもちろん、二十歳以上という意味だけではない。
なあんて、飲めない私がえらそうに言うことでもないけど。
うーん。
なんだかんだ言っても、やはりお酒が飲めないのは少し残念だ。大人になり損ねたような気がする。
もちろんそれは、お酒が飲めないことに対して後ろめたいとか劣等感を感じるとか、そういうことでは決してない。
ただ、あの酒宴での父やその仲間たちの楽しそうな顔を思い出すと、ちょっぴり羨ましさを感じるというだけのこと。
もうすぐ米寿の父は、今はすっかりお酒が弱くなった。
いや、本人は飲みたいようだが、母ににらまれるので控えているようだ。
それでも、日が落ちると、焼酎のお湯割りか烏龍茶割りを1杯か2杯、のんびりと美味しそうに飲んでいる。
……ずっと飲めるといいね。
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