つれづれ雑記*てにをは、の話*
『てにをは』がおかしい、という言い回しがある。
文章の意味が通らない、とか、文脈がおかしい、とかいう意味に使われるようだ。
『てにをは』とは、日本語の文法の「助詞」のことを指す。その中でも特に体言(名詞)についてその役割を示す格助詞のことを指すことが多い。
私は言葉や文法を専門に勉強したわけではないし、いろんな言語に詳しいわけでもない。
今から書くことは、ドがつく素人の私が僅かに聞き齧ったことや感じたことばかりなので、もしも間違っていることがあったらどうか(優しく)ご指摘くださるとありがたい。
体言の役割は、大きく、主格、目的格、所有格、に分かれる。
中学英語で習った、アイマイミーマイン、ユーユアユーユアーズ、という、あれのこと。
文章の中の用言、つまり、動詞のその行動を行う主語となるべき体言(名詞)を主格、その行動の結果を受ける側となるべき体言を目的格と呼ぶ。
これが曖昧であったり間違って伝わってしまったりすると、文章が全く別の意味を持ってしまう。
言語によっては、格をはっきりさせるために代名詞が原型から形が変化するものが多い。
(例えば英語なら、主格はI、目的格はme、のように)
少し話が逸れるが、主語によって動詞まで変化させてしまう言語もある。これだと主語が省略されていても、動作をする側とされる側が明快で非常にわかりやすいだろう。
例を上げると、最近、あるプロ野球チームの選手の間で合言葉に使われている「ヴァモス」(vamos)というのは、スペイン語で「行こう」とか「やろう」と言う意味だ。
元々の「行く」という動詞の原型はirなのだけど、これが主語が「私たち」になるとvamosに変化する。なので「私たち」という主語をわざわざ言わなくても、動詞だけで意味が通じるわけだ。
日本語にはそういう変化がない。
動詞が主語で変化することはないし、「私」は、主格だろうが目的格だろうが、「私」だ。
ここで役に立つのが助詞。主格なら「は」「が」、目的格なら「に」「を」がそれぞれついて、区別出来る。
「私は、彼に、手紙を書いた」
たとえばこの文章だと、「書く」という動作をしたのは主格である「私」、動作をされたのは目的格である「彼」と「手紙」。
「は」「に」「を」という助詞のおかげでその意味は明快になる。
名詞そのものが変化しない日本語に助詞はなくてはならない脇役なのだ。
そして、この脇役、ただの脇役ではない。
まさに「名」脇役だと思うのは、私だけではないと思う。
助詞はほとんどの場合、文字ひとつか、多くてもふたつ。
このひとつかふたつの文字がときとしてものすごく重要な意味を持ち、幾つもの言葉を並べたのと同じくらい意味深な表現が出来る。
たとえば。
「私は コーヒーが いい です」
非常に日常的に聞かれるこのフレーズ。
「お飲み物はいかがなさいますか?」という問いに対しての応答というところか。
「は」と「が」の2つの助詞を含む、このわずか4文節だけで、前後の文章がなくてもさまざまなことが想像(妄想?)できるのだ。
まず、「私」の「コーヒー」に対するスタンス。コーヒーが飲みたいのか、別に他のもの、たとえば紅茶とか煎茶とか水とか、でもいいのか。
「私」は「コーヒーが」と述べている。このことから、「私」が欲してるのは、他の何物でもなく、コーヒーだということがわかる。
これが「コーヒーで」となれば、他のものでもいいよ、何なら紅茶でも水でも、ということにあるだろう。
さらに「コーヒーでも」などと言おうものなら
>>>えっ、他のものないの? そんなら聞くなよなぁ、しゃーないけど。それやったらコーヒーでもええわ。
というニュアンスが含まれないとも限らない。(あくまで個人的妄想です)
そしてもうひとつ、「私」の立ち位置もわかる。
「私は」と言う言葉には、他の人はどうかはわからないけど、もしかして紅茶のほうが簡単かもしれないけど、すみません、「私は」コーヒーが飲みたいんです、という気持ちが溢れて(?)いるように思われる。
これが「私も」となると
>>>あ、他の人はコーヒーなん? 私は、まあ、どっちでもええけど、いや、強いて言えば紅茶のほうが好みやけども、みんながそんなにコーヒーが好きなんやったらコーヒーにしとこか。
という思いがあるやもしれない。(繰り返しますが個人的妄想です)
さらに進んで
「私『も』コーヒー『で』いいです」
などとなろうものならば
>>>なんやー、他の人はコーヒーにするわけね、じゃあ、私もコーヒーにしとこか、しゃーないなぁ。
などという複雑な状況が、たった4文節で表現できてしまうわけだ。(すみません。結構な量の妄想入ってます)
ほんの1、2文字で、ここまで表現出来てしまうなんて。
うーん、名バイプレーヤー助詞、恐るべし。
言葉って深い。
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