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つれづれ雑記*田舎の小学生の日常、の話*
私が入学から小6で転校するまで通っていた小学校は、当時でもう既に創立何十年という古い学校だった。
ずっと以前の記事で書いたこともあるが、木造校舎で校庭のほぼ真ん中に大きな楠の木がある、本当に田舎の学校だった。
今より子どもの数が多かった時代。そしてまだ学校の数が追いついていなかった時代。
ひとクラス40人を超えていて、学年は5クラス、全校児童数は1000人以上。
校区も広くて、結構遠くからきていた児童もいた。
私は子どもの足で歩いて30分くらいの新興住宅地から通っていたし、もっと遠くから市バス通学していた同級生もいたと思う。
各地域ごとに小さなグループをいくつか作り、上級生が下級生と手を繋いで列を作ってぞろぞろと集団登校をした。始業時間近くなってくると学校の周辺は毎朝、四方八方から集まってくる児童の列でてんやわんやの大混雑になった。
帰りは学年によって終業時間がバラバラなのでそれぞれで自由に(?)下校する。
いちおう、近所同士、顔見知り同士で連れ立って『寄り道道草しないで』帰るようにと指導されるが、小学生がそんな言葉を素直に聞くわけがない。
私たちの小学校は、田園、といえば聞こえがいいが、早い話、田んぼや畑のど真ん中にあった。通学路の両脇はずっと田んぼが広がっている。
田植え支度前の田んぼにはシロツメクサやレンゲが花盛り。
田植えが終わって水の入った田んぼではカエルが鳴いてアメンボが泳いでいる。畦道にはバッタやトンボ、てんとう虫やアゲハチョウも。
やがて夏草が生い繁り、ピーピー笛の材料のカラスノエンドウやスズメノテッポウも顔を出す。
秋になれば彼岸花が畦に燃え、豊かに実った稲の上にはスズメよけのキラキラヒラヒラするテープ。
稲刈りがすめば、刈られた稲株が行儀良く並んだ広い空き地(?)が出現する。
毎日こんな道を通りながら、道草を食うなと言うほうが無理というものだ。
日頃、畦道には絶対に入ったらダメだと言われていた。
せっかくきれいにならした畦道を不用意に踏むと崩れるし、草が繁っているときには蛇や毒のある虫を踏むかもしれない。何より、他所の家の私有地だ。
それに、現在はもうないと思うが当時は畦道にはとんでもないものがあったのだ。
今、これを読みながらお食事中の方がいたら申し訳ない。
昔、田んぼや畑の畦には、肥溜め、或いは野壺と言われるものが存在した。
畦に大きな壺や土管などを埋め、そこに糞尿を溜めて発酵させ下肥とするものだ。
雨水が入らないように屋根があったり、木や石の蓋がしてある場合もあったが、だいたいは柵も無いし、開けっぱなしだった。
発酵中は臭いがすごいのでそばにも寄れないが、ある程度出来上がってしまうと表面(何の?)が乾いて蓋代わりになってあまり臭いがしなくなり、その存在に気づかないことがある。
落ちると非常に危険だし、とにかく激臭、なのだ。
どのくらいかと言うと、どんなに洗ってもしばらくは一緒に食事は出来ないほど、だそうだ。
……この話はもうこのくらいにしておこう。
とにかく、通学路は誘惑でいっぱいで、真っ直ぐ帰るのはなかなかに難しかった、ということだ。
それでも適度に道草しながら帰っているうちはいいが、ときどき悪さも度を越す、ということも起きる。
農業用の用水路がある。
まず溜め池や川から大きな水路で水をひいて、そこから更に田んぼに直に水を流すための細い水路が道路沿いを流れている。その水の行き先や量を調節するために水路のところどころに溝が刻まれていて水を堰き止めるための板がはめてあった。
その板をイタズラで引き抜く者がときどきいた。
ことの起こりは悪意ではないと思うのだ。悪ガキたち同士で抜けるか抜けないか、などと話しているうちに、悪ノリが過ぎたのだと思う。しかし、いったん抜いてしまって水が流れ出したら子どもの力では元に戻せない。
他にも、トマトのビニルハウスに小石を投げて上に乗せて遊んでいて力余ってビニルを破ってしまったり、脱穀機からの排気用のビニル製のホース(排ガスではない。脱穀した米と殻を分けるのに取り込んだ空気を使うので機械から排気が出るのだ)がヒラヒラしているのを押さえて遊んだり、脱穀後の籾殻が前庭に山積みにされているのを蹴飛ばして崩してしまったり。
悪さには枚挙にいとまがない。
あまりに度が過ぎると、農家の人が職員室に猛烈な抗議、はっきり言ってしまうと怒鳴り込んでくる。
全校朝会で校長先生が「お水は農家の人たちにとってとても大切なもので…」とか、「ビニルハウスでは農家の人たちが大事な作物を育てておられて…」などとよく注意をしていた。
この周辺に他に小学校はないので、子どもが悪さをすればとりあえずこの学校の生徒には間違いない。
全くもって、沿道の皆様には申し訳なかった。
そうは言っても、ご自身も通っていた、そして今現在も子どもや孫が通っている小学校、ということもあったのだろう、近隣の農家の方々にはよくしていただいた。
理科の授業で田んぼの見学もさせてもらったし、学校近くの畑を貸してもらってそこに皆で芋のツル(これも提供してもらった)を植えて、秋には芋掘りもしたっけ。
そうだ、思い出した。
ある日の朝、学校近くの家(もちろん農家さん)の同級生がバケツを下げて登校してきた。
中を覗いてクラスは大騒ぎになった。男子は歓声をあげ、女子は悲鳴を上げた。
中には見たこともないくらい大きなカエルが入っていた。
体長20センチはあろうかという、大きな大きなウシガエル、だった。
やがて始業時間になって、教室にやってきた担任の先生に同級生は事情を説明した。
「おじいちゃんが、こんなに大きいのは珍しいから学校に持っていってみんなに見せてやれって」
若い女性の担任はとりあえずどこからか大きな水槽を持ってきて教室の後ろに置き、そこにバケツの中の池の水と一緒にカエルを入れてしばらく皆で観察した後、授業を始めた。
授業の途中からカエルが鳴き出した。
この記事をお読みの方々はウシガエルの鳴き声を聞いたことがおありだろうか。
低いブゥブゥという声で、知らなければカエルの声とは思えないだろう。
しかも低いくせによく響く。
静かな教室の中で延々と響くウシガエルの声。クラス中、笑いを堪えるのが大変だった。
そして、カエルも疲れたのかやがて静かになって皆がカエルのことを忘れかけた頃、突然バッシャーンという大きな水音。
びっくりして振り返った皆の目にはビシャビシャになった床と、水槽の中で水を跳ね散らかして窮屈そうに泳ぐカエル。
大爆笑になり、午前中は全く授業にならなかった。
昼休みになって、そのカエルは隣のクラスの男性の先生が学校裏の溜め池に放しに行った。
のんびりした時代の、田舎の小学校のお話。