つれづれ雑記 *白いジープに乗った、話*
大学を卒業してからしばらくの間、小さな電機メーカーに勤めていた。勤務地は自宅から電車で数駅の郊外の工場。
その後、もう少し自宅に近い別の工場に移ってバス一本で通えるようになった。
新しく出来た工場だったので、同じくらいの年齢の若い社員が多かった。社員の数自体が少ないので、だいたいみんな顔見知り、仲もよかったと思う。
私はバスだったが、他の社員は男性も女性も自動車で通勤している者が多かった。
特に、時代だったと言おうか、男性社員たちはみんな車好きで、寄るとさわると車の話ばかりしていた。
誰かが車を買い替えるとか替えないとか、新車を買ったとか買わないとか、どこそこのディーラーで試乗したとかしないとか。
昼休みには喫煙所のある駐車場に集まってタバコを吹かしつつ、ああでもないこうでもないと車談義に花を咲かせていた。
よくまあ、飽きないものだと女子の仲間内で呆れ、感心していた。
当時は車の雑誌も全盛で、やたらとマニアックなものから女子受けを狙うちょっとチャラいもの、高級車ばかりのもの、玄人ばりにとんでもなくメカニカルなものまでニーズに合わせて種々様々、本屋にずらりと並んでいた。
私自身は、当時まだ免許を持っていなかったし父が車を持っていなかったこともあって車にはあまり詳しくなかった。
若手男性社員がピカピカの新しい車に乗って得意げにしていても、ふーん、という感じだった。
ある日、工場の駐車場に見慣れない白い車を見かけた。
2人乗りのジープ?のようだけど。
屋根もサイドの窓もなくてフロントウインドウとシートの背もたれだけが見えている。ドアもなく、足元が丸見えだ。
これ、何?
アメリカの戦争映画やアクション漫画なんかで見たことがあるけど、普通、そういう車って、迷彩とかカーキとかじゃないのか。なぜに白?
ナンバープレートが黄色。軽自動車だ。
事務所に戻って同僚に言った。
「変な車が停まってるんだけど」
ん?と言う顔をする同僚たちの中、1人の女子社員が笑い出した。
「あーあれね。あれ、Kさんのやつ」
Kさんは、毎朝1時間以上かけて自動車通勤している先輩男性社員である。
「家からあれで来たの?」
「そうよー、バカでしょ」
バカかどうかは別にして、あんな車、どうしたんだろう。私は興味が湧いて昼休みに見かけたKさんをつかまえて聞いてみた。
Kさんはニヤニヤしながら、あれはスズキのジムニーという車の初期モデルだと教えてくれた。
友達のお兄さんから譲り受けたそうだ。
なぜという問いにはひと言「面白いやろ」。
ジムニーは、スズキが1970年に発売した軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車だ。
とても人気のある車種で現在でも発売されている(今はもっと大きいのもあるらしいが)から、ご存知の方もたくさんおられると思う。
そして、どうしてこのKさんのジムニーには屋根もドアもないかというと、このジムニーが幌でキャビンを包むソフトトップタイプだから。
(イメージがしにくい方は「ジムニーソフトトップ旧型」あるいは「ジムニー幌型」で検索してみていただきたい)
幌はないのかと尋ねる私にKさんは、付いてなかった、と答えた。
友達のお兄さんもどこかから譲ってもらったらしく、そのときからもう幌はなかったそうだ。
あちこちに錆びが出ていたので、工場に出入りしてる塗装屋さんに頼んで錆を落として塗り直してもらったとか。なぜ白に塗ったのかは聞かなかった。
それからKさんはしばらくの間、晴天の日にはこのジムニーで工場に通勤して来ていた。
ところで、この工場は先にも書いたとおり同年代の社員が多くて仲もよかったので、予定の合う何人かでサーティワンの新作が出たと言っては定時で上がってアイスを食べに行ったり、美味しいたこ焼きの屋台があると言っては夕食替わりに買い出しに行ったり、ということがよくあった。
そんなときだったと思う。何か賭けをしていて(何の賭けだったかは全く覚えていないのだが)私がKさんに勝ったことがあった。
それでふと思いついた私は、明日の朝、あの白いジムニーに工場まで乗せてもらえないかと頼んだ。
Kさんの通勤路の国道は私が通勤に使っているバスが通る道でもあった。
いつも乗るバス停近くで待っていて、そこから工場まで乗せてもらえばいい。
実はジープ(正確にはジープではないが)というものに一度乗ってみたかったのだ。
Kさんは笑って、何なら自宅前まで迎えに行ってやろうかと言ったが、それは遠慮した。
排気量が小さいジムニーは、エンジンの音がドッドッドッとかなりうるさい。
朝からそんなのに家の前まで来てもらったら、近所で目立ってしょうがない。
Kさんに、よし、じゃあ迎えに行ってやるが絶対乗れよ、と言われ、絶対乗ります、と答えた。
翌朝、よく晴れたいいお天気だった。
自宅から歩いて5分、国道の歩道で待っているとジムニーがやってきた。
眩しい朝日に照らされて白い車体が思いのほか、目立つ。気のせいか周りの車が距離をとっているようにも見えた。
やがてドヤ顔のKさんが運転する白いジムニーが目の前に停車する。改めて見ると、やはり、何かすごい車だ。
フルオープンでドアがなく、その代わりにまるで遊園地のアトラクションの乗り物のように脇にバーが一本あるだけ。
それから、驚くべきことにシートベルトも付いていなかった。まだシートベルトがそこまで重要視されていなかった時代。着用が義務化されたのは、もっと後のことだ。いちおう、ほとんどの車には付いてはいたのだが、このジムニーにはなぜか付いていなかった。
ステップに脚をかけ、乗り越えるようにして助手席に乗り込み、座席の前に付いている手すりをしっかり持つ。
いざ、工場まで20分ほどのドライブ。
屋根のないオープンカーに乗るのも初めてなら(オープンにもほどがある気もするが)ジープ(型の車)に乗るのも初めて。
映画の中の登場人物になったみたいでワクワクした。
そう、出発して5分ほどのところで信号に引っかかるまでは。
この国道の向こう側には中学校と小学校があり、こちら側から通う生徒児童たちのために横断歩道と歩道橋があった。
折悪しく、ちょうど通学時間帯。
横断歩道を渡る中学生たちは信号待ちをしている白いジムニーをジロジロ見ながら通りすぎていく。
集団登校の小学生たちは歩道橋をぞろぞろと歩きながらこっちを見下ろし、何か声高に話しながらこちらを指差している者もいた。
晒し者、という言葉が頭に浮かび、青信号に変わるまでの数分が数十分に感じられた。
めちゃめちゃ恥ずかしかった。
工場に着いてKさんにお礼と共にそう言うと爆笑され、他の社員たちにも笑われた。
この機会を逃したら二度とあんなとんでもない車に乗ることはなかったはずだから、後悔はしていない。
でも今なら絶対に乗れない、と思う。
あともう数年で昭和も終わりという、いかにもいい加減でおおらかな時代のお話。