つれづれ雑記 *障子に花が咲く、話*
昨年末、久しぶりに障子を貼り替えた。
我が家にひとつだけある和室に障子戸のはまった掃き出し窓がある。
前に貼り替えたのはいつのことだったか、正直なところはっきり覚えていない。
義母が元気だったころは、2年に1度くらいの割合で貼り替えていたように思う。
ここ数年いろいろとバタバタすることがあり、しばらくほったらかしになっていた。
昔、ごく幼い頃に住んでいた団地の部屋にも小さいけど障子戸があって、年末になると古い紙を剥がされて水拭きされ、棧だけになった障子戸がベランダに立てかけられて干されていたっけ。
母が障子を貼り替えるのを、少しだけ手伝った(邪魔した?)ことはぼんやりと覚えている。
平たい刷毛で棧に糊を塗り、幅40センチくらいの巻物状の障子紙を横端からくるくると広げて貼っていく。
必ず、下側から貼っていくこと。そうしないと、貼り合わせた継ぎ目が上向きになって埃が溜まりやすくなるから。
そんなことを教えてもらったように思う。
その後、引っ越した家には障子がなかった。
数十年前、今の家に来て初めて障子を貼り替えようとホームセンターに紙を買いに行って驚いた。
昔ながらの幅の狭い障子紙もあるにはあるが、幅が1メートル長さが7メートルもある大きな紙がメインに売られていた。
横からではなく、上から下へ貼るのだ。
これ1枚で、掃き出し窓サイズの障子が4枚貼れる。
無地以外にも桜とか水紋とかの柄付きがあり、せっかくだからと、どの季節でも通用しそうな笹竹の模様を選んだ。
それから、何回貼り替えただろうか。
慣れないうちは、手順が悪くもたもたしていたためにせっかく塗った糊が乾いてしまったり、シワにならないようにと引っ張りすぎてかえってひきつってしまったり、貼ったばかりでまだ乾いていないのにカッターで切ろうとして紙がちぎれてしまったり。
危うく柄を上下逆に貼るところだったことも1度や2度ではない。
貼り上がりにシワがよっていても、霧吹きで水を吹いておくと乾いたらピンと張る。
そう聞いて、実際やってみると本当にピンとなるので、それに感動した家人がやたらと霧吹きをかけたため糊が溶け出して、せっかく貼った紙が棧から剥がれてしまったこともあった。
何度も貼れば不器用な私でもだんだん慣れてくるもので、そのうちに何とか上手く貼れるようになった。
もちろん、プロには及ぶべくもないが、我が家にはこれで充分だろう。
ところで、当たり前だが障子紙は紙だ。
紙は破れる。
気をつけていても、思いもかけないことで破れたり穴が空いたりすることは防ぎようがない。小さな子どもがいたらなおさらだ。
破れてもそうそうすぐには貼り替えられないが、放っておくわけにもいかない。
子どもの頃、実家の父や母が障子の破れ目によく半紙を丸や花型に切って貼っていた。紙を放射状に折り、角を切り落として紙を開くと花型になる。
それを思い出して、我が家でも、障子が破れたときは障子紙の残りを花型に切って貼っていた。
娘らが小学生になってハサミをうまく使えるようになると、紙を切るのはもっぱら彼女たちの仕事になった。
その成長と共に型もどんどん凝ってきて、花型の花弁の枚数や形、角度も様々になり、そのうち、内側にも切り込みを入れた透かし模様のある花型まで出てきた。
穴や破れ目の大きさに対してそれはちょっと大き過ぎないか、という作品(?)もたまにあったが、きれいだから佳き、とそれも貼った。
いろんな形の花型があちこちに散らばって貼られている障子は、見ようによっては少々貧乏くさかったかもしれないが、外から日が差すと花型が浮かびあがって、私にはとてもきれいに見えた。
娘らが成長したのと、最近の障子紙が丈夫になったのが相まって、ここ数年、障子はめったに破れなくなった。新しい花型が貼られることは減った。最後に貼ったのはいつだったかな。
そう思うと、花がいくつも咲いている(貼られている)障子を剥がして貼り替えるのがもったいなくなった。
この記事の最初に、バタバタしていて貼り替えていない、とか書いているが、しばらく貼り替えなかったもうひとつの理由はそれだった。
昨年の暮れ、障子をしみじみと眺めた。紙も貼り付けてある花型もだいぶ変色してきている。ちょっと迷ったが、やっぱり貼り替えようと決めた。
しばらくやっていなくても、手が覚えているもので、久しぶりの貼り替えはなかなか上手く出来た。
貼りたての障子は真っ白でやはり気持ちがいい。部屋が明るくなった気がする。
そうだった。
面倒だなぁと思いつつも障子を貼り終わったらいつも、こんなに気持ちいいならどうしてもっと早く貼り替えなかったんだろう、と毎回思ったものだった。
すっかり忘れていた。
きれいになった障子。
花がひとつも咲いていないのはやはり少し寂しい気はするけど。
破れてなくても、いくつか花型を切って貼っておこうかなとも思う。