つれづれ雑記*箪笥の中の骸骨、の話*
失敗を恐れるな、とよく言われる。
人は失敗によって学ぶ。
失敗によって成長する。
だから失敗は恐れなくていい、いや、むしろ、子どものうち、若いうちはたくさんしたほうがいい、とか。
一方で、成功体験が多いほうがいい、ともよく言われる。
人間というものは、特に子どもは、頑張ってやってみたことが上手く出来た!という体験を積み重ねていくと、自己肯定感と自信が生まれ、何でもやってみようという意欲が育つ、とか。
いったい、どっちが正しいのか。
たぶん、どちらも正解なのだろう。
こちらのほうが絶対に正しい、と決めつけてしまうこと、それそのものがよくないのだろうとも思う。
それはさておき。
私も例に洩れず、たくさんの失敗をしてきた。
それこそ、小さなものから大きなものまで。
大勢の、あるいは、数人の面前で大恥をかいたものから、人知れずこっそりと冷や汗を拭ったものまで。
恥の多い人生をおくってきました。
と書いたのは誰だったかな。
私は勉強の暗記物は得意ではないが、妙なところで記憶力がいい。
自分の数々の失敗を、後々まで結構詳細に覚えている。
これが、困る。
普段はどこかにいい具合にしまい込まれているのだ。ざっと見回して見当たらないくらいに。
それが、ひょっと、本当に何と言うことのない、ほんのちょっとしたタイミングで、まるで降ってくるように思い出したり、する。
途端に、うわーっ、となる。
側に誰もいなければ、唸りたくなる。下手をすると叫びたくなる。
最近は歳のせいで、新しいデータがインプットされなくなったのか、されてもすぐに抜けてしまうのか、あまりバージョンアップはされていないようで、古い記憶ばかり。さすがにあまり古いものは薄れてくるのか、だから、以前ほど叫んだりはしなくなったが。
ずっと以前、中学生のときだったと思う。現代国語の教科書に、誰が書いたものだったか、忘却と後悔についてのエッセイが載っていた。
著者によると、人間にとって1番辛い感情は「後悔」だという。
人は誰しも、長く生きていると数々の失敗をし、数多の恥をかいてきている。
この著者も、今までたくさんの恥をかいてきたそうで、夜中にふと目が覚めて眠れなくなったとき、暗い天井を見上げていると、ひょっと過去の失敗や恥ずかしい出来事を思い出し、叫び出したくなったことが何度もあるらしい。
あー、あんなこと、しなければよかった。あんなことさえ言わなければ。
たまたま思い出したことだけでも、布団を頭からかぶってのたうち回るほどなのに、もし、今までの失敗を全てを覚えていたら、どれだけの苦痛を耐え忍ばねばならないだろうか。
だから、彼によると「忘却」こそが天が人間に与えた唯一にして最大の恩寵、ということらしい。
忘れるということが、人間を後悔の苦しみから救っていると。
なるほど。
当時の私は、この説にものすごく共感した。
私は、昔からあまり後悔というのはしない。(決して、反省しない、という意味ではない。念のため)
ただ、ものすごく恥ずかしかった失敗については、後悔というより、その恥ずかしかった感情がリアルによみがえって再燃する。
これはなかなかにきつい。叫び出したくなる著者の気持ちがよく理解できる。
この著者の言うとおり、忘れてしまえる、というのは本当に恩寵なのかもしれない。
先日、聴いていたラジオでパーソナリティが、いわゆる黒歴史、つまり、人には絶対に言えない、思い出したくない過去や失敗のことを、英語で、a skelton in the closet(箪笥の中の骸骨)というのだと話していた。
上手いことを言うな、と思った。
私の箪笥の中には、それこそ売るほどに骸骨がゴロゴロ(!?)入っている。
え?
いったいどんな失敗だったのかって?
いやいや、それは絶対にここには書けない。
書けるようなことなら、とっくにそれをネタにした記事を書いている。
ここまで来たら、墓場まで持って行くつもりだ。
これから先の人生で、今までの失敗が霞んでしまうような途方もないような大失敗を引き起こさない限りは。
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#あなたの箪笥には骸骨はありますか