精進料理を楽しむ心
精進料理は、仏教とともに、修行僧の簡素な食事の形式として、6世紀頃に中国から日本に伝わりました。その後長い年月を重ねる中で、先人たちの知恵によって、日本の風土や食材との調和が図られ、現在の形へと発展してきました。
精進料理は殺生をしてはいけない「不殺生」と言う仏教の教えがもとになっています。そのため、肉や魚介類など動物性の食材は使わず、植物性の素材のみを用いて調理されます。しかし、野菜やくだものにも命があります。私たちが生きていくためには、自然界にある命をいただかなければならないという現実があります。そうであるからこそ、日々の食生活の中で、自然界の恵みに感謝し、命を尊ぶ心を常に持ちたいものです。
精進料理を作りいただくことは、自然への慈しみや感謝の心を深く感じとる機会ともなります。春夏秋冬の季節の食材をいただきながら、時の移ろいや私たちを包んでくれる大自然を感じ、安らかなひとときを過ごすことが、精進料理を楽しむ心となります。
赤坂寺庵の精進料理
寺庵(てらん)のある常國寺は、正式名を「真宗高田派 方廣山常國寺」と称し、江戸時代前期の大和年間(1681年頃)、玄誓上人によって創建されました。創建から350年以上にわたって法灯を護り、現在は十二世となる現住職、浅尾康行によってその伝統が引き継がれております。
ある日の「報恩講」という大切な法会の席で、お檀家のみなさんに精進料理を召しあがっていただきながら、談笑を楽しんでいただきました。その時ある方が、「私も精進料理を作ってみたい」とお声をかけてくださいました。
私自身も、精進料理とその心を、みなさまにお伝えしたいと、かねてから構想を描いていましたから、そのおことばに強い刺激を受けました。そこで、常國寺の中で精進料理をお教えする講座、「赤坂 寺庵」を開く決心をしました。
赤坂寺庵は、都会の喧騒から一歩離れた静かな寺の境内にあります。静かなたたずまいの中で、七百年の歴史をもつ精進料理に親しむことは、効率やスピードを優先する現代にあって、大いに意義のあることと思いました。
殺生を避け、植物性の食材を使いながらも、やはり命のあるものをいただくことで、自然の恵みに感謝する心、さらには、日々精進する心を更新したい、そうした精進料理の思想を、同席する方々と分かち合いたいと、いまも日々、願っています。
精進料理の心を分かち合う
現代社会では食事に簡略さや効率、速さを求めがちです。しかし、日本人の心の底には、食事と静かに向き合い、自分が自然の命によって生かされていること感じ、より謙虚に、より丁寧に日々を過ごしたいという感受性が、今もなお深く根付いていると感じます。
精進料理を通じて旬の食材と向き合うことは、視覚や嗅覚をはじめとした五感を研ぎ澄まし、日頃忘れがちな季節の移ろいや日々の大切さを感じる機会となります。単なる食事ではなく、自然と一体になるひとときは、心身を整え、健康を内面から支えてくれる大切な時間となるでしょう。
また、「いただきます」「ごちそうさま」という、この世界のすべての事物に対する感謝を示す習慣は、様式美として、その場にいる方々の振る舞いや態度に感謝の気持ちが表われ、内面的な美しさをも引き出してくれます。そして、お互いの絆を深め、控え合う心を養ってくれるものです。
こうした精進料理の世界に触れていくことは、忙しい日々の中でも心身を整え、豊かに生きるための一助となるでしょう。これからnoteを通じて、皆さまとその心を分かち合っていきたいと思います。