「正しさ」とは?「愚かさ」とは?それは何か見せつけられたので。
「あの曲」とは
高校3年生の頃
私は
「あの曲」に出会った。
当時、受験生だった私は、何を考えていたのだろう。
その曲は、多くの児童・生徒の
両親や、先生に対する鬱憤晴らしのような
そんな歌詞を綴っていた。
「これ、小学生・中学生に歌われ続けたら、非常に厄介な曲だな。」
「だけど、私のことを歌ってるな」
そう感じたのだ。
この子本当に同い年?
私は、初めてその曲のメロディを聴いた時に、そう感じた。
女の子だけど、とても力強くて、
きっと、社会に対して、つまらない感情を抱いていて
でも
ずっと、何かを訴えたくて
それを歌に乗せて、必死に伝えようとしていて。
不器用で、世間知らずで、でも
「言いたいこと」や内に秘めているパワーはとてつもなく、力強くて。
私にとっての「当たり前」とは?
本当に、私はちっちゃな頃から優等生だった。
そして、
気付いたら、受験生を経て、薬剤師を志して、薬学部に入って、
成人していた。
そして、口だけはどうも上手いようで、
X(旧Twitter)やLINEに流れてくるトレンド欄は、
当然のように目に触れるようにしているし、
経済の動向も、あながち
通学の電車の中で、割かしちゃんとチェックしている。
「頑張りたい」という気持ちが強くて薬剤師を志した。
茶道の先生の元の指導にて
「先輩の後に、続けてやってみなさい。あなたはわかっていないのだから。」
「さっき、ここ、ちゃんと見てなかったの?」
「次の人のことを考えて、お菓子やお茶碗を回すのですよ」
「あなたはまだ、経験が足りないのだから、何も言わず、
ちゃんと「わかりません」と言うのよ」
その考え方は昭和・平成の時代までは、95%くらい正しかったと思うけど
令和の時代に、合う考え方なのだろうか。
この先生に関しては、いつも全うで
先生は何も間違ったことは教えてないのに、
どうして私は、いつもお腹がぐるぐる回ってしまうのだろう。
いつかの私のお話
そんな考えがぐるぐる回っているなか、
私は、少し、現実の中に隠れていた、小さな「夢」を見た。
今まで過ごしていた世界の中で、一番楽しかった。
そして、何かが「壊れて」いた。
でも、それが、ものすごく「楽しかった」。
端から見た経歴は、ものすごく全うだったのに、
全てが「壊れている」ように感じた。
その1年後、本当に全員壊れていたとは、その時の私たちは、
誰も知る由もなかった。
だけど、
私が、ここに来る前に、
「壊れる」疑似体験ができなかったら
私は「変わる」ことなんてできなかったと思う。
そんな私が、初めて、本気で壊れた曲。
カラオケで本気で、サビを歌いました。
今まで生きてきた、全ての憎しみや、恨みや、感情をのせて。
『あなたが思うより健康です!』
こんな曲、おそらく今後、どこでも歌わないと思います。
だけど、
これを歌えて、本当に幸せでした。
罪も、憎しみも、愛も、本音も
もうすべて、どうだっていい。
私を壊してくれて「勇気」をくれた彼らに、
最大限の「愛」を込めて。
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