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Musical Dance 

プロローグ


いつかから続く口調と思考回路を恥じて、1人悩む最弱線。
ふと偶に脳内に蘇る、悩む前の自分と親友達とのやりとり。
こんな私なのに一緒にいてくれた愛も勇気も、夢も花も。

そんな私の好きな世界を教えてくれたきっかけをくれた
姉御肌の彼女の知り合いが、同じ研究室にいるとは
悩みのどん底にいる自分は思ってもいなかった。

ママが帰ってこない日


ママは今日も帰ってこない。

朝5時に家を出て、夜の7時に保育園にお迎えにくる。

今日は早お迎え。お仕事が休みだから。

だけど、今日は「渡る世間は鬼ばかり」の日。

「ちゃらららららら、ちゃらちゃらちゃらちゃらちゃっ、ちゃーちゃーちゃーちゃっちゃーーー」

テレビから流れてくるイントロ。

ママは鞄を肩にかけた。

「夜勤、行ってきまーす!」

「「「行ってらっしゃーい!!!」」」

我が家の幼少期。毎週木曜日の21時。
母は夜勤病棟に向かう日であった。

そこでの出来事は、普通の専業主婦のママに育てられた子供達にとっては
あり得ない出来事なのだろうが、

看護師の子供である
小学校に入学前の私にとっては、当たり前の習慣だった。



この頃から、絶対に看護師にはなりたくないと心に決めていた。


帰ってきた母は、紫の袋を持っていたことがあった。

「ママ、お帰りなさい!!!」

帰ってきた母は、すごいニコニコしていた。
「ママずるい!!1人だけ遊びに行って来ただなんて!!!」

「ごめんねぇ、仕事の合間にたまにはママも1人でゆっくりしていたいの。」

「ちゃららー、ちゃららー、ちゃら、ちゃーらちゃらら」
ふと、父から、電話がかかってきた。

「あ!!パパだ!!!」

幼き私は、母の携帯電話に手を伸ばした。

その着メロが、私のカラオケの十八番になるのは10年後の話になるとは思っても居なかったが。


ママみたいに


小学校に入学したとき、私はいくつかの習い事を始めた。

新体操。ママは、高校生の頃、新体操部だったみたいだから。
保育園の友達のお母さんが、新体操の先生だったから。

バレエ。ママは、結婚するまでずっと、バレエを習ってたみたい。

ピアノ。ママはとってもピアノが上手で、ママみたいに弾けるようになりたかった。


他にも水泳を習っていたけど、平泳ぎまで頑張って、小学校3年生の時に辞めてしまった。

だけど、ピアノは中3まで頑張った。

その中で、今の私を作るきっかけとなったのは、新体操とバレエを習っていたこと。


ママが楽しいって言っていた世界は、とても綺麗で、輝いて見えたから。

新体操を習っている時に、できたお友達の1人。
その中にいた、1人のお姉さんは、とても身体の動きがしなやかで、
同じ教室でやっているダンスを2種類習っていた。

小学校の時間割の都合で、新体操教室に通えなくなった。
そして、バレエのレッスンにも行けなくなった。

「お姉さんと、同じダンスを習わない?」
友達に誘われた。

私は、新体操で仲良くなった友達と、また同じことを頑張りたいと思った。


そこは、私にとって、

「芸能業界の裏事情」と「努力」と「人間性」を学ぶ

おおきなきっかけとなる場所であった。


夢が夢じゃない それってすごいじゃない


その世界は、私の常識を変えた。

そこには、私の知らない世界を知っている人達が沢山居た。


「5、6、7、8」

わん&つー、すりー&ふぉー

身体の軸を垂直に保ちながら、右左右、左右左、とパドブレを踏む。

あるときは右に
あるときは左に。

それが慣れたら、スタジオを対角線にピルエット。

シェネで鏡から鏡に向かってくるくる回って。。。


新体操で身につけた柔軟性も、

バレエで身につけた基礎も、

それ以上の体力を要求され、

そして、

「はい!皆まっすぐ並んで!!!」

配られた歌詞カード。

CDに合わせて歌う。裏声無しで……


系統はジャズダンスであったのに、

最早、アイドルの基礎練であった。。。


普通のレッスンだけでは終わらなかった。

近所の公民館の多目的ホール・会議室を予約して行われる
特別レッスン。


そして、近所の小ホールを貸し切りにして行った、初舞台。


本当に、なんか、すごいところに来てしまったんだと、
私は思った。

初舞台。

上手も下手もわからないまま。
小学校3年生の夏休み。

私は、赤いベストとチュチュのスカートに身を包んで
いつかの魔法使いたちのアニメソングを歌って踊った。

ある時はプリンセス
ある時はミュージシャン
呪文1つでオッケー!

『ピリカピリラッキー』(おジャ魔女どれみ)


プリキュア5世代の私にとっては、「おジャ魔女どれみカーニバル」ですら
当時はまともに知らなかったのだが。。。

夢は夢じゃない それってすごいじゃない
魔法 魔法 ピリカピリ ラッキー!
これでバラ色!

ピリカピリラッキー!


本当に1曲まともに踊れたとも言えない私であったが、

本当に楽しかったって、いうのを覚えてる。


とある姉弟との出会い。


そのイントロは3人の1個上のお姉さんが、優雅な雰囲気を醸し出して始まる振り付けだった。

そのお姉さんたちの1人は3人兄弟の姉御であり

その弟の1人は、私の通っていた小学校の隣の隣のところに通っていた。

その兄弟との思い出が、今の私を作った

そんな感じです。。。


トルコ行進曲 オワタ \ (^o^) /

とある姉弟が歌い出した曲


まさか、私の初めての初音ミクというVOCALOID楽曲を意識して聴いたのは、その姉弟からであったのである。

そして、

私は小学生の頃から、某超次元サッカーアニメを
高校生までちゃんと追っていたのだが

そのアニメの沼に突き落とすきっかけを作ったのもその姉弟であった。

(何故なら、その姉弟は某サッカーアニメのカードをめっちゃ集めていて、そのキャラデザインが私の趣味のドンピシャであった。
何なら、私のPCのホーム画面は皇帝ペンギン2号である。)


二次元きっかけでできた、友達。

中学でも、高校でも、大学でも。

本当に沢山いたし、

あの彼等も、元をたどるとアニヲタの集まりであった。


それくらい、その姉弟を影響に私のヲタク趣味は形成された。

Last Dance 「High school Musical」


最後の舞台。

ミュージカルダンスの曲といえば、誰がなんと言おうとも、

ダンス界隈に足を踏み入れた人なら誰もが知っているであろう

「High school musical」であった。

中学2年、最後に歌い踊った曲。

それまでにやってきた楽曲。
木村カエラ、『日常』の黒猫、阪本さんのキャラソン、
天国と地獄、Jailhouse rock、光源氏の祭り。

レッスンでは、声出し、基礎練。
アイカツのステージ前の練習のような、スタジオで
衣装合わせもした。

ゲネプロ、リハ、音響あわせ。

大きな舞台で発表会に出る経験をもしたし、
楽屋裏、という場所に入ったこともあった。

芸能界、舞台俳優を目指すお姉さんのお誘いで、友達にも誘われて
習い始めたミュージカルダンス。

ジャズのはずなのに、ヒップホップ系も、アイドル風の曲も、
アニソンも、 沢山歌って踊っていた。

それ相応のレッスンを毎週受けていたんだなあ……と、
今の私は、当時を思い出します。


最後、自分は思い描くステージを飾れただろうか。

その記憶があるのかは、あまり覚えていないけど。

最後の最後まで。

力加減をわからぬままで、

私は精一杯やりきったことを、覚えています。


夢を魅せる者の努力。


その経験はこう教えてくれました。

「夢の世界を生きる人は、生きるために小さい頃から、ずっと
努力を積み重ねて、その下積みの結果、大きな舞台に立って
やっと輝けるんだ」と。


あの日、ママが遊びに行っていた世界。

それは、東京 有楽町にある、
東京宝塚劇場。

厳しい下積み、高倍率のオーディション。

キラキラ輝いている世界を創り上げる、美声の女性の集まり。

その母に連れられて訪れた帝国劇場。

そこには、20年間不動の、鳥籠娘『エリザベート』を演じる
花總まりさん、
そのお相手であった人、
私の推しである 城田優 のトートを観て。

私は思いました。

「この世界は、本当に素晴らしすぎて、そう簡単に近づける世界ではないのだ」と。

「練習をし続けても、上手く踊れない私にとっては無縁な世界だろう。」

「だけど、1人の女性として、自分の道(キャリア)を導ける人になろう。」と、

私は、「エリザベート」という舞台を観て、決心しました。


そして、

看護師にはなりたくなくても、
女性が自分のキャリアを作っていくのが難しくなく、
誰かの人生の一部を支えていける職業を選ぶために。。。

薬剤師という夢を叶えようと、ダンサーを引退した頃くらいに考えました。

あれから7年。


ちゃんと、私は、薬科大学に入学しました。

そして、あんなことや、こんなことや、

あり得ないことが近くで沢山ありました。

そのうちの1つは、まさか、芸能関係の出来事であったとは、
芸能界の裏側を遠目で見ていた私にとっては、信じられない出来事が

大学でできた親友の1人に起こるとは、思っても居ませんでした。


再会。

大学3年生の10月。
久しぶりに、あの男と大学の帰り道に遭遇した。

どうやら、彼は今、研究室のプレ配属が終わって帰宅のタイミングだった

らしい。


「やっと話せた!!今までちゃんとやれてるか心配だったんだけど!!!」

久々の親友メンバーの全員集合、と思いきや、

彼の横には、もう1人、男の子がいた。

「良かったじゃん、研究室でちゃんと友達ができてw」

そう、笑って帰る一本道。

その合間に聴く、とある研究室では、とても楽しく頑張っているという事。


彼と別れて、もう1人の少年と話すことになった。

「そういえば最寄り駅どこ??」

「え?***だけど…」

「ちょっと待って、そこ私の最寄りの隣なんだけど、どこ中出身?!」

「****って人、知ってる?」
 ▲後にこれは彼の元カノであったことが判明

「え、それ昔の友達なんだけど… ってことは君どこの小学校出身?」

「××小」

「え、ってことはあの***姉弟わかるよね??」

「家、ほぼ真横だし、お姉ちゃん、あそこのコンビニでバイトしてるよね?」

すべてが繋がってしまった。。。


5年振りの同窓会

私は、姉御肌のお姉さんに、LINEを入れた。

親友の新たな親友の存在について、ご存じかどうか尋ねるために。


その答えはすぐにやってきた。

「ママに聴いたら、『あー、あの子ね』ってなったよー!」

そう、姉御は教えてくれた。
私の勤め先のドラッグストアの医薬品売り場で。


何故か、リアルで再会した。バイト中に。

そして誘われた。5年ぶりの忘年会という名の同窓会に。


エピローグ ~とある研究室にて~


「で、君、@@@くんってこの大学にいるの知ってる?」

「@@@?!その名前だけは言うな!!!」

その一言は、研究室の部屋全体に響き渡った。

@@@は、私と出身小学校が同じだったが、クラスは一緒になったことはなく、大学1・2年で初めて私はクラスが同じになった人だ。

お互いだからといって喋ってはないが、流石に存在はお互いに認知してるのであろう、とは思うのだが。


あの男はこう言った。
「え?@@@君、俺の後ろでテスト受けてるけど???」

同期女子はこう言った。
「@@君って、あれよね?&&&高校出身ってインスタにあるけど」

「あー、俺@@ちゃんと仲良いぞ???」
他の研究室同期男は口を挟んだ。

「え、@@@くん、同じくラスだったの知らなかったの???」
もう1人の彼等のクラスメイトは鼻で笑った。

「おい、どういうことだ??@@@とは地元のお祭りで**とデート中に因縁の対決をしてそれ以来会いたくなかったのに…」


さて、何故私の過去の友人の元彼が2人、弊学にいたのだろうか。。。

偶然をあざ笑うかのように、私も男のくだらない過去の恋愛事情に溜息を零した。

研究室では、真面目に研究をしていながらも、
その中で発覚していく「狭い世界の人間関係のしがらみ」


ただ、それでも思う。



どこかの誰かさんが、ミスターコンで準グランプリを取ったとき。

ふと、思い出してしまった、私の過去の習い事の仲間たちとの時間を。


ふと、思い出してしまった、私の好きな世界を教えてくれたあの姉弟を。

あの姉弟とのご縁が引きつけた再会と


いつかの私がもがき苦しんだ過去ですら、

「朱鷺」という私が生まれてしまったあの日のことも。

すべて、どうでもよく感じるような場所に
引きつけてくれたあの姉弟には、本当に感謝の言葉しかない。


最後のダンスは、私だけに。


そして、あの日のママの着メロ、
今は私のカラオケの十八番。

大好きな舞台俳優、城田優に惹かれたあの舞台。

帝国劇場、宝塚歌劇団で演出が少しずつ異なりながらも

1人の「女性」として、
とても美しく自由を追い求める
人生を送った、

オーストリア 最後の皇后 

エリザベート

の物語。

宝塚歌劇団のエリザベートのサブタイトル

~愛と死の輪舞~



エリザベートの中に出てくる死神
トートが歌う「最後のダンス」のサビフレーズ。

「最後のダンスは俺のもの」


歌い踊る城田優に惹かれた、中学1年生の頃の私。


彼のように、私に笑いかけてくれる、死に神のような人と
今年、どこかで出会えるのだろうか。


たとえ、そんな男の人に出会えようが、
出会えまいとしても、



それでも、私の人生は私だけの物なのだ。


つらかった過去。
薬学生として、夢を叶えるために定められた義務。


実習期間。

自分で決めることの出来ない履修登録。



しゃーねーな、と思いながら、通う大学の中にできた



研究室という
仲間たちと
笑い合える場所で。


無給労働が始まるまで。

もう少し、学生人生のボーナスタイムを
全力で楽しんでやろうと、
私は感じるのであった。


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