【2】行きたくないと思ったことはなかったのに、私は学校に行けなくなった
軽すぎる文面で不登校体験談を書いてみたらどうなるかの実験シリーズ、2話目は、家の前の交差点で足が動かなくなる事件の続きです。
再チャレンジむなしく、交差点より先に進めなかった私は仕方なく家に戻ります。
なんというかランドセルの重さが身に染みた気がする。
さて、私は母に何と言ったか。
「足が動かない」
とね、ごくごくはっきりと正直に言ったようです。
たしかに自分にとっての事実ってそれしかなかったといえばそれしかなかったんですけども。でもそれにしても直球。まあ小1ってそんなもんか。
母は、じゃあ一緒に行ってみようか?と言って、同じ交差点のところまで、二人で一緒に歩いてくれました。
問題の交差点。私の足は母がいようがおかまいなしに止まります。
ほんとにね、ピタッ。って感じで止まるんですよね。カキーン。というかんじで固まって、足がうんともすんとも言わなくなるんです。反応なし。
「だめだねえ」と確認した母子は、家に戻ります。
・・・ずいぶん母はあっさりした反応ですね?
はい、当時の私もそう思いました。あんまり何も言われないのがむしろなぜかしら?ってそわそわってしたくらい。
そのそわそわもまだおさまらないうちに、私は母からある告白を聞きました。
「私も学校行ってなかったときがある」
・・・ちなみにいまからすると50年前くらいです。当時不登校とか登校拒否って言葉も多分なかった時代。先駆けすぎる。
今だれかが聞いたら驚くことなんでしょうが、それを聞いた私は
「ふうん?」
とだけ思いました。
だってね?!たとえ一般的には衝撃の告白だとしても、聞いた本人が「衝撃的なことだ」ってわかってないと「衝撃の告白」って感じないんだよ?!
私にとっては、そのとき自分の世界の中に「不登校」とか「登校拒否」って言葉も概念も存在してなかったんです。学校に行かない状態というのがある、というのをうまく取り込めなかった。(そこからだったのよ!初歩!)
でもとりあえず、なにやら母は理解してくれているらしい。というのは感じました。
その後、私と母は祖母の家に行きました。祖母の家は歩いて20分くらい。祖母は仕事で出かけている時間で誰もいないので、二人で落ち着いて話せるところだったんでしょう。
「おばあちゃんち」で、どうして学校に行きたくないの?ということを、母に聞かれました。
そりゃ聞きますよねえ。何か原因があるのか?って気になりますよねえ。
それに、さすがの私も「学校に行けない」ということは「行きたくない理由があるから行けなくなるはず」というのはわかっていました。
だから「最近学校であった嫌なこと」をいくつか話したんですよ。とりあえず、思いつくやつを。
なんというか、思いついて話すものはどれも、「小学生の日常」っていう感じでした。よくありそうななんてことないやつ。自分で話していて「でも、だからといって学校に行きたくなくなったわけじゃないんだよなあ」とね、自分で感じるのよね。
その「嘘をついているわけではないけど、本当のことを言えてない」ちぐはぐな違和感ねえ、できるものならひとつ話すたびに「そんなわけあるかーい!」と自分ツッコミを入れたいくらいでした。
私が過ごしていたのはふつうの小1の日常です。いじめがあったわけでもないし、友達もふつうにいました。
というかそもそも、「学校に行きたくない」ってそんなに思った記憶がなかったんですよ。むしろ結構毎日は楽しかったくらいです。
え!?じゃあなんで?と思うでしょ。
私もわからんかったんですよーーー。
このあたりまで来てやっと、小1の女の子が交差点で足が動かなくてなにこれってあわあわしてる時の混乱がリアルに想像できるようになったかと思うので、ぜひイメージしてみてください。私の青春の大切な一コマ分けてあげるよ。シェアしちゃうよ。
そんなこんなで、自分でもわからないけど、とにかく始まってしまった「不登校」という現象。
その後、私は9年近く、この自分に起きている現象と向き合うことになります。
つづく!
※続きはまた公開予定です。気になる人はフォローしてね!また、不登校のストーリーはマガジンにもまとめてあるので気になる人はどうぞ♪
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