おかえり
おかえり
おかえりなさい。とかおはよう。とか、
私が言いたいのはそれだけだった。
朝焼けの花を一緒に見た後、私たちはそれぞれお互いの部屋に帰った。
同棲とも言えず、かといって別々に暮らしているわけでもない。
タイミングが合えば、2、3日連続で互いの家に泊まったりするし、
仕事で忙しかったら、会えない時も続く。
ここのところ連続して彼が泊まっていたのは、
仕事ですこしミスをしたからだったようだ。
大きな体格をしているのに、
ベッドの中でちいさくまるまって、肩を震わせて泣いていた。
わたしは彼の隣にいて、時々なだめたり、
気分転換に彼の好きな甘いチョコレートケーキを食べよう。と、
ケーキ屋に寄ってケーキを買ったりして過ごしていた。
仕事のほうは思っている以上に事が大きくなってしまったようで、
少し彼自身も回復するのに時間がかかりそうだった。
彼が静かに涙を流す夜が何度か続いたとある朝、
とても早く起きた私はカーテンの隙間から漏れる
真っ赤な朝焼けが眩しくてベッドの中からもぞもぞと起き上がった。
そして彼にそっと声をかけて、二人で外にでて朝焼けの花を見に行った。
赤く赤く広がる朝焼けは、それはきれいで、
何もかも赤い空に飲み込まれてしまうようだった。
その日、彼は私の部屋から、彼自身のマンションに帰っていった。
それから、互いの生活をする日々を送った。
ときどき元気?とかちゃんと食べてる?とかそういった短いメッセージを送っては、
彼からの返事も「うん。」とか「なんとか。」とかいかにも彼らしい一言が返ってきた。
返事はあるから、なんとかやっているのだろう。
彼も仕事の信頼を回復するために、一生懸命やっているのだろうな。というのはすぐに想像がつく。
自身に一番厳しい人だから、仕事の信頼回復は仕事でするしかないのだ。
今日会える?と連絡がきたのは、朝焼けの花を二人で見てから、
大分時間が流れてからだった。
うん、会えるよ。
そう簡単に返事をすれば、夕方仕事が終わったら、私のマンションに顔を出す。という。
久しぶりに彼に会える。
バカみたいだけど、本当に付き合いたての頃のようにうれしかった。
仕事帰りに寄ったスーパーで絹さやと厚揚げと缶ビールを買った。
簡単な煮物を作って、一緒に食べよう。
そう思って。
少し荷物が重かったけど、久しぶりに一緒の食卓につけるなら平気だった。
わたしはなるべくならご飯は一緒に食べたいほうだったし、
料理も苦にならないから。
マンションまでの道を歩いている時だった。
急に重たい荷物を持っていた右手が軽くなった。
「久しぶり。」
そういって彼が私の手からスーパーの袋を取り、彼の手をつないできた。
安心する、わたしの居場所のにおい。
「おかえり。」
そういうと、彼は顔をクシャリとして笑いながら
「ただいま。」
と言った。
「ビール?」
「うん。あと絹さやと厚揚げの煮物。」
「あ、いいね。」
手をつなぐ。
私の髪を一つに束ねていたシュシュが揺れる。
私が言いたかったのは「おかえり。」とか「ただいま。」とか
そういったことだけだ。
わたしはもう一度彼の握った手をぎゅっと強くつなぐと、
彼のクシャクシャの顔を私の胸元にもってきて、言った。
「おかえりなさい。」と。