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「内なる声」に導かれて① ~軽井沢移住のきっかけ(母の介護、リモートワーク、伊那市と松本市での思い出)
1・介護生活の終わりと新たな始動
母の介護を終えて、私の人生が始まる
2018年夏。ある日、突然、4年半の在宅介護生活が終わりました。
始まりは一本の電話でした。
「空きがでました」
電話の主は大田区の特別養護老人ホーム。
私はそれまで、通所の介護サービスを利用しながら、フリーランスひとり親方+ひとりっ子独身の「ハイパーおひとりさま」として母の介護をしていました。
その頃、東京の特養は待機者が各施設2000人くらいのレベルでした。
「もう一生、この生活が続くのかもしれない」
そう思うくらい、先の見えない状況でした。
介護が終わったあとの自分のことなど、考える余裕もなく、ただ目の前の仕事と介護に追われる日々。
母を施設に送った後も、しばらくは呆然としていました。
1年くらい、そのまま同じ家で暮らし、漫画の仕事を続けていました。
自分のスペースが増えたはずなのに、母の鏡台などを置きっぱなしにして。
ある日、私は奇妙な夢を見ました。
母が施設から戻ってくる夢でした。
せっかく得たスペースを淡々と譲っている自分がいました。
「これはまずい!」
目が覚めて、私は危機感を覚えました。
そんな時、よく行っていたカフェのオーナーの一人が、店を辞めて長野県伊那市に移住するという話を聞きました。
「あれ? 私もともとパソコンだけで仕事をしているんだから、地方移住ってアリなのかも・・・?」
そう思った私は、すぐに賃貸物件検索サイトで伊那市の物件を探し始めました。
そして、高速バスに乗って内見に行き、そのまま契約。
思いついてから1か月後には、私は伊那市に引っ越していました。
それまで誰にも移住したいと言ったことがなかったため、突然のことに東京の友人は皆、驚いていました。
今考えると、あの時私はリセットしたかったのだと思います。
何もかも。
家に残るそれまでの生活の痕跡を捨てて、新しく人生を始めたかったのです。
2・リモートワークという自由
移住とリモートワーク
私は、その頃からすでにキャリア30年以上の漫画家でした。
紙にペンで描くスタイルからデジタル制作に移行したのは、業界内でも早い方だったと思います。
2010年頃から、アシスタントともオンラインでデータをやりとりしていました。
なぜ、そんなに早くデジタル制作に変えたのか?
それは、私が雑誌でオリジナル作品を描く漫画家から、企業相手の「広告漫画家」にシフトしたからです。
ビジネスシーンでは、すでにパソコンが主流でした。
データでやりとりする方が、受注に有利だったのです。
そして、すべてオンラインでやりとりできるようになったことで、私の仕事場は大きく変わりました。
アシスタント用のデスクや道具が作業場からなくなり、アシスタントを家に泊めることもなくなりました。
そのため、それまでアシスタントのために使っていた部屋も必要なくなりました。
仕事場はコンパクトになりました。
しかし、それは移住を決めるずっと前のこと。
私にとって、移住は働き方を変えるためではなく、生き方を変えるための選択でした。
3・はじめての地方移住
地方移住にはさっぱり関心がなかった
私は東京が大好きでした。
今でも好きです。
なので、地方に住むという選択肢は、まったく頭にありませんでした。
もともと関西出身の私は、「漫画家で生きていく」と決めて上京しました。
「出版社がある東京に行くのは当たり前」
そう思っていました。
20代の頃、1990年代の東京は、今とはまったく違っていました。
スマホどころか、パソコンも普及していませんでした。
FAXがやっとの時代です。
漫画家、イラストレーター、デザイナーなどを志す人は、皆、東京を目指していました。
地方のイメージは、まったくありませんでした。
資料をもらえれば描くことはできますが、住むイメージはまったく湧きませんでした。
強いて言えば、トレッキングにハマっていた頃に見た山村のイメージでしょうか。(都会っ子あるある。極端な田舎を想像する)
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だから、私が移住を決めたのは、在宅介護でとことん不自由を感じ、縛られた生活からの解放を強く求めたからです。
それ以外に、東京を離れたい理由はありませんでした。
伊那谷でのワイルドな暮らし
長野県伊那市は、私にとってまったく未知の場所でした。
父方の郷が小諸市なので、同じ長野県だから似たようなところだろうと思っていましたが、まったく違いました。
伊那市は名古屋に近い南信地方、小諸市は東京寄りの東信地方で、地理的に最も交流が薄い地域だったのです。
移住当初は、先に移住していた友人しか知り合いがいませんでした。
しかし、すぐにたくさん友人ができました。
友人の紹介で、どんどん輪が広がっていきました。
「友人作りに苦労しないなんて、移住ってチョロい」
そう思ったりもしました。
伊那谷での暮らしは、刺激的でした。
虫が多い、樹上に鷺の巨大なコロニーがある、天竜川がワイルドすぎる、車がないと歩行者として目立つ、坂がえぐい、夜道が暗すぎる、信州の冬は寒すぎる:(´ºωº`):
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いろいろ文句もありましたが、やっていけると思っていました。
※2025年2月現在、私はまだ車なし生活です。
移住して半年後、新型コロナウイルスが流行しました。
移動制限が出て、長野県から出られなくなりました。
「いろいろあるけど、まあ、やっていけるだろう」
そう思っていました。
それまで、東京の特養にいる母の面会に月一で行っていたのですが、それもできなくなりました。
面会は、私にとってリフレッシュの機会でもありました。
それができなくなり、また介護をしていた時と同じように、閉塞感でいっぱいになってしまいました。
しかし、長野県内であれば移動は可能でした。
友人にドライブに連れて行ってもらい、いろいろな場所を訪れました。
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もちろん伊那市内もきれいなところいっぱいありました。
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だけどコロナ禍の「閉塞感」がまた私を別世界に誘ったのです・・・!
松本での穏やかな日々
箕輪町の友人は、松本市を「都会」、長野市を「大都会」と認識していると言っていました。
(伊那市の駅前あたりは「街」だそうです)
東京は「別世界」だと。
しかし、閉塞感に囚われていた私には、松本市ですら「別世界」に映りました。
巨大なイオンモールが、キラキラと輝くテーマパークに見えました。
「もしかして、私は根っからの都会っ子なのかもしれない。こういう場所の方が合っているのかも・・・」
そう思い、またしても1か月で引っ越しを決めました。
「地方都市」という概念がクリアになったのは、この時です。
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松本は、コンパクトに何でも揃った美しい街です。
住み心地も抜群です。
駅近に住めば、車はむしろない方が便利です。
一通道路が多く、狭くて入り組んだ道が多いからです。
松本での生活に、特に不満はありませんでした。
しかし、2年住んで賃貸契約を更新した直後、私はまたしても突然の引っ越しを決意するのです。
今度は、軽井沢へ。
つづく