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あの時の私へ。「私が最愛の人と会わないと決めたときの気持ちの事」を語ります。


「私の大好きな人」
その言葉をどれほどの人が、その「大好きな人」のことを思い浮かべながら、口からこぼしていることでしょう。
私にも大好きな人、いえ、最愛の人がいます。
今日は「私が最愛の人と会わないと決めたときの気持ちの事」についてお話しましょう。

この文章は、「自分の好きという気持ちを改めてじっくりと考えてみたい人」や、「大好きな人と会えなくなってしまった人」の、
何かしらになったら嬉しいなという想いも込めて綴ります。



最愛の人との出会い

私の最愛の人、ここでは「彼」と呼びます。そう、彼と出会ったときの事は、よく覚えているようで、あんまり覚えていません。
よく覚えていることは、彼を目の前にしたときの私の感情のことで、あんまり覚えていないのは、何年の何月のどこで会ったかという事です。

なので、ここからの話は「私の感情を軸にする」話で進んでいきますので、自分語りです。
はじめに断っておきますが、私は自分と対話するときの話し言葉は、敬語もしくは硬い言いまわし(~である。等)で話します。ですので、所々その2つが混ざっていることもあり、読みにくい文章となっていましたら、すみません。
出来る限り、柔らかい表現の言い回しをするように心掛けます。と、すでに硬めな文章となりつつあり不安ではありますが、心掛けをすることが大切だと思いますので、このままで進めていきます。

先ほど言いました、よく覚えている「最愛の人に会った時の私の感情」について、まずは話します。

そう、彼と出会ったのは、共通の知り合いの紹介でした。
紹介と言っても、良くある友人の計らいで「お付き合いを前提とした紹介」ではなく、
共通の知り合いが「こんな人がいるよ。」という「もし良かったら仲良くしてね。」のさらりとした紹介で、その彼と初対面しました。
その時の彼は、言葉や仕草にまだ幼さを残しており、これから歩んでいく未来に大きな期待を抱きつつ、どこかでこの世を見切っているような印象のある、その当時の私が出会ったことのない「初人類」でした。

彼のはっきりとした二重の大きな目が、私の目を真っ直ぐに見つめたときに、

「あ、私、この人のこと、絶対に好きになる。」

と、私の中で言葉が、赤子の寝息のように穏やかに自然に生まれました。
その言葉に温度があるなら、その温度さえも今でもありありと鮮明に思い出すことができます。
でも、当時の私は、自分の感情が人に対してここまで自然に生まれたのが、初めてのことでした。

だからなのか、驚いた私がその言葉を隠すように被せた言葉があります。

「だから、あまり近づきすぎないようしよう。」

そうなのです。瞬時に私は、私の感情に否定的な言葉を付け加えました。

一連の私の心の流れをまとめると、
「この人のこと絶対に好きになるから、❝好きにならないために❞近づかないようにしよう。」
となります。
前半は感情の私で、後半は理性の私です。

この時の私は、
「自分の本当の感情に素直になることは、良くないこと」
だという考えを軸にして生きていました。
今の私からすると「なぜ、その信念に執着しているのだろう」と、まるで他人事のように考えられますが、
当時の私は、曲げたくない信念にように、その「自分の本当の感情は表に出さない」と心に強く誓っていました。

その後の彼との付き合いは、共通の知り合い数人で会って、ご飯を食べたりカラオケに行ったりする程度のものでした。



関係が急展開したキッカケは

その関係が急展開した大きなキッカケは、私の離婚です。

このnoteでは初めて公表しますが、私は戸籍の上では「バツ」の付いた人間です。
その離婚について、今回は詳しく話しません。もちろん立ち直ってはいますので、出来ればお気になさらずにいてくださるとありがたいのですが、気になりますよね。
いつかは、私の人生で出合ってきた事柄をすべて文字に書き残したいとは考えていますが、この「離婚について」を、文字として具現化するまでに至るのは、もう少し時間が必要なので、また改めて場を設けます。

話を戻しますと、私の離婚をキッカケとして、その彼との関係性に変化があったということです。

彼に「実は、離婚することにしたの。」と(SNSの)ラインで報告した。
そのことから、彼とのメッセージのやり取りが増えました。
毎日3往復をするのは当たり前で、離婚が落ち着いたら「私のお疲れ様会」と表し、初めて2人だけでご飯に行く約束もしました。

ここからの話を進める前に言っておきたいことがあります。
その彼とのやり取りをしている時の私は、
「自分の本当の感情に素直になることは、良くないこと」
という信念から、
「自分の本当の感情に素直になることは、大切である」
という信念への変化を遂げていました。
その変化の話もするとなると脱線してしまい、終点に構えている「私が最愛の人と会わないと決めたときの気持ちの事」まで行きつかなそうなので、
ざっくりと「生きている中で何かしらがあったのだろうなあ。」と寛大に考えて頂けたら有難いです。
まあ、人生いろいろです。男も色々、女だっていろいろ咲き乱れるわ、なのです。
はい、脱線しました。戻します。

その彼と、会話を続けていくと、気が合うだけでなく、心の中の深い部分を共有しているかのような感覚を覚えることもありました。
それは彼も感じているようで、メッセージを交わす度に、顔を合わせて話しをするごとに、お互いに惹かれ合っていきました。
どちらかが、ということではなく、同時に「付き合おう」という流れになったのは、言うまでもありません。



最愛の人と会わないと決めたときの気持ちの事

ですが、ここで私に問題がありました
それは、
「離婚をしてから、心にぽっかりと空いた穴がある。この穴を、彼で埋め合わせたくない。」
「彼を今、この心に迎え入れてしまったら、元夫の代わりとして彼を利用し、同じような別れ方をするに違いない。」

と、強迫観念とほぼ同じ考えに襲われました。

その考えの裏返しにある気持ちは、彼と初めて出会ったあの時の感情、
「あ、私、この人のこと、絶対に好きになる。」
を、ぞんざいに扱いたくないという、「自分の本当の感情に素直になることは、大切である」という信念を大切にしたい、私の身勝手な気持ちから来るものでした。

その気持ちを守ることだけで、号泣するほど精一杯の当時の私が出した結論は、

「付き合う事は、今の私には無理だから、ごめんなさい」

彼からの言葉を全て拒絶するように、彼の前から姿を消すように、連絡を途絶えさせました。
彼の気持ちなんて一切考えずに、考えられずに行動したことで、当時の彼がどれほど傷ついたことか。あの時の私はおろか、今の私でさえも、決して理解することのできないものだということ。それは、今でも私の頭の中に刺さっては抜けない棘として、心の奥深くに置いてある鉛の重石として、存在しています。
簡単に言えば、「人生の中のしこり」です。
きっと、この「しこり」は、これからの私の生き方によっては、無くなるのかもしれないし、ずっと居続けてくれるのかもしれません。

ただ、ここで一つだけ断っておきたいことがあります。
ここまでの彼との流れを文字に書き起こしているのは「今の私」であって、彼のことを好きだけど彼に真っ直ぐに向き合えない「当時の私」は、ここまで言葉にはできませんでした
もう、ただ、感覚というかニュアンスというか、言葉にはならない本能に近いものに突き動かされるように、彼との決別に向かって進んでいったのが、当時の私です。



その決断をした先に

その進んでいった先に待っていた道と、彼との関係を深めていったかもしれない道とを比べて、どちらが幸せなものであったか。
今の私でさえも、わかりません。
「いつこの道を選んだことに、しっかりとした答えを出すことができるのか。」
と、思い悩むこともありました。

ですが、その答えはきっと、私が人生を締めくくらせる時に、
「あ、あの時の、」
と思い返すに違いありません。
この「いつか(人生の終わりに)答えが出ているのかもしれない」という考えは、離婚のことや彼との関係のことが、私の中で少しだけ落ち着き始めた時に行きついた、私の考えであり、
「人生の締めくくりをされている人の多い」介護の世界にいる今の私も、その「いつか〜」の考え方を後押ししています。

いつか出る「私が最愛の人と会わないと決めたときの気持ちの事」の『答え』に向けて、私は今を生きていくことを、していきたいのです。


では、結局、その彼とは今も会っていないのか。
という問いかけにつきましては、また機会がありそうなときに、お話しさせてください。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。





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