【短編小説】睡眠銀行
「本日は、夢枕劇場にご来館いただき誠にありがとうございます。間もなく上映開始時間です。お客様は席にお戻りください」
観客の群れが静かに移動を始める。
暗い会場内に小さく光る誘導灯を頼りに、観客たちは指定されたシートに次々と着席した。
桑の実色の分厚い幕が上がり、巨大なスクリーンが姿を現す。
【キャスト】
成瀬 直樹・・・・大学3年、睡眠学研究会所属
浅野 遥・・・・・大学3年、睡眠学研究会主宰
板橋 宗一郎・・・大学教授、睡眠学研究会顧問
渋谷 淳・・・・・大学4年、演劇部部長
二宮 由香・・・・大学3年、演劇部所属
早川 明美・・・・大学3年、演劇部所属
平塚 宏・・・・・大学2年、演劇部所属
辻堂 美鈴・・・・実業家、広告プランナー
羊・・・・・・・・睡眠銀行窓口係
獏・・・・・・・・睡眠銀行融資係
ジークムント・・・自称、睡眠銀行相談役
序幕
病室の窓。
カーテンの隙間から灰色の空が見える。
渋谷淳は、中途半端に開いた白いカーテンを静かに閉じた。
「このまま、二度と目覚めなかったら・・・・・・」
ベッドには美しい女性が横たわっている。
胸の下あたりで指を組み、微笑を浮かべた穏やかな表情で眠っている。
しかしもう何日も、その瞼は閉じられたままだ。
二宮由香は、眠り姫のように静かな寝息を立てていた。
第一幕 睡眠学研究会
「おはよう! 成瀬、レポート書いた?」
後ろからポンと勢いよく肩を叩かれ、半分眠っていた脳が一瞬で現実に引き戻された。
「おいおい、今イイ気持ちで夢の世界の入り口にいたのにさぁ。俺の幸せな時間を台無しにするなよ」
「あはははは!」
勝ち誇ったように高らかに笑う彼女は、浅野遥。俺と同じ大学3年生で【睡眠学研究会】の主宰である。中学からの腐れ縁。まさか大学まで一緒になるとは思いもしなかった。
「成瀬ってさ、本当にどこででも寝られるのね。感心しちゃうわ」
「だからいつも言ってるだろ? どこででも寝られるってことは、それだけ精神が安定してるってことなんだよ。お前みたいにいつもガツガツ生きてるヤツには心のゆとりってもんがない。可哀想な性分だな」
「なによ。私の眠りはね、短時間集中型なの。短い時間で深ーく贅沢な眠りを楽しんでるの。アンタみたいに長いばっかりで、浅くて貧弱な眠りに比べたら、私の方がはるかに優れた睡眠だってこと。わかった?」
「はいはい、わかりました・・・・・ところで、レポート出来た?」
「もっちろん! 我ながら素晴らしい研究報告に仕上がったわ。昨日徹夜で頑張っちゃった」
ポニーテールの巻き毛を左右に振りながら、遥は満足げに微笑んだ。
彼女の研究報告には毎回驚かされている。着目点も斬新だし、取材や資料の収集にも抜かりがない。間違いなく我らが【睡眠学研究会】の精鋭であり、頼もしい主宰なのだ。
【睡眠学研究会】はその名の通り、人間の「眠り」についての研究を行っている。まだ発足して1年足らずだが、顧問の熱意と研究生の積極的な活動のおかげで、学内では割と名が知られている。「最近よく眠れない」とか、「枕はどんなものを使ったらよいか」など、相談にやってくる学生は後を絶たない。
月に1回、研究生それぞれが睡眠に関するテーマをひとつ決め、レポートにまとめてくるというのが主な活動。第3水曜日にレポートを提出して、翌週の水曜日が発表会というスケジュール。月1回とはいえ、ボヤボヤしていると期日はあっという間にやってきて一夜漬けというハメになる。何とか期日までにレポートを提出できても、更なる緊張が続く。顧問の板橋宗一郎教授が提出されたレポートを入念にチェックし、内容が甘ければ「やりなおし」を命じられるのだ。
板橋教授は睡眠学研究の第一人者。世界各国で様々な研究発表をし、高い評価を得ている有名人だ。ちょっと偏屈なところもあるが、俺たち研究生を自分の孫のように可愛がってくれている。
「今回の私のテーマは『眠りの貯金と返済について』よ。ね、面白いでしょ?」
「なるほどね。よく『寝貯めする』とか言うしな」
「そう、それなの、発想の根源は。でもね、実は、とんでもない情報を入手しちゃって。これは間違いなくスクープになるわ」
「なんだよそれ・・・・・・まあ、楽しみにしてるよ」
遥の勝ち誇った顔。目鼻立ちが端正なことも手伝って、やけに説得力がある。小柄なくせにどこにいても存在感があるのは、彼女の気の強い性格によるものだろう。俺はいつものように引きつった笑みを返した。
第二幕 銀行窓口
「だから、あと何メイ振り込めばいいの?」
早川明美は、おとなしそうな羊に食ってかかるように言った。
「はい、ご希望とあらば、何メイでも承ります」
表情ひとつ変えず、窓口係の羊は答えた。
「そういうことじゃなくて! あの女を一ヶ月間眠らせておくには、あと何メイ必要かって聞いてるのよ!」
両手でドンっとカウンターを叩いて、明美は羊に顔を近づける。少しつった切れ長の目が、怒りを帯びて更につり上がった。
「はい、お客様の出来る範囲で、何メイでも承れます」
羊はゆっくりと頭を下げた。
「もう話にならない。ちょっとそこの融資係、こっちにきて頂戴」
呼ばれてから窓口に座るまでに3分かかった。やっと腰をおろした融資係の獏(バク)は、長い鼻をゆっくりとカウンターから突き出した。
「何か、御用でございましょうか?」
大きく溜息をついた後、明美は故意にゆっくりと獏に向かって言った。
「あの女を、一ヶ月間、眠らせておきたいの。それにはどうしたらいい?」
獏はまた3分ほど考えた後、明美にこう言った。
「お客様のお持ちになっている睡眠時間は限られたものです。どんなに頑張っても1日16メイまでしか貯蓄も返済もできません。お客様のご希望は、その女性を一ヶ月間眠らせておくことですね? ということは、お客様が返済すべき睡眠時間をその女性の口座に振り替えて、お客様の代わりにご返済いただくということ。これを一ヶ月間続けるということは・・・・・・お客様、つまりあなた様は一ヶ月間、一睡もできないということになりますが、よろしいのでしょうか?」
「かまわないわ。私は眠らない、眠らなくていいの」
「かしこまりました。それではお客様のお手数にならないよう、自動振り替えの手続きをさせていただきます。あなた様の代わりに、ご指定の女性から自動的に睡眠のご返済をしていただくようになります。よろしいですね?」
「・・・・・・お願いするわ」
「かしこまりました。ご利用、ありがとうございました」
羊と獏が、揃ってゆっくりと頭を下げた。
第三幕 教授室
左右の壁一面の書棚に様々な色形の本が整然と並んでいる。2つの脚立は棚の高い場所に置かれた本を取り出すためのものだろう。年季の入った重厚なデスクには、やはり整然と必要な事務用品が並んでいる。
柔らかな春の日差しが差し込む窓を背に、板橋宗一郎は提出されたレポートを1枚、また1枚とめくりながら、もごもごと何か呟いている。
「ん? これは・・・・・・」
ホチキスで綴じたレポートの表紙に書かれた名前を確認すると、板橋は老眼鏡をくいっと指で正す。ロマンスグレーと表現するには少々無精過ぎる半白髪のボサボサ頭を右手で掻きながら立ち上がると、板橋は書棚から一冊の古い本を取り出した。しおりが挟まれた章を黙読した後、椅子に戻ってもう一度レポートをめくり、双方を見比べた。
「とうとう、ここに辿り着いたか・・・・・・」
深い皺に満足げな笑みを浮かべ、板橋はゆっくりと椅子の背に体を預けた。
第四幕 渋谷からの相談
水曜日。睡眠学研究会月例研究発表会、当日。
研究室には俺と遥、そして他7名の研究生たちが集まっていた。それぞれ人数分用意した研究発表用の資料を配布しながら楽しそうに談笑している。
「いよいよね。今回は自信あるんだ。成瀬、居眠りしないで、ちゃーんと聞いてなさいよ」
少し興奮気味に、遥が話しかけてきた。
「わかってるって。一大スクープなんだろ? 俺はそのネタ持って早速どこかの週刊誌に高値で売りつけてきてやるよ」
「もう! 成瀬ったら、ロクなこと言わないんだから!」
怒った顔がやけに可愛い。その顔が見たくて、無意識のうちに怒らせているのだろうか。いつも元気で明るくて、ウザイくらい前向きで。ちょっとしつこいところもあるけど、俺はそんな遥に、ほのかな恋心を抱いているのかもしれない。
「あの、すみません。相談したいことがあるんですが・・・・・・」
すらりとしたイケメンが研究室に入ってきた。研究生全員がそのイケメンに注目した。
「演劇部の渋谷淳といいます。睡眠学研究会の方たちなら、何かいい方法を教えていただけるんじゃないかと思ってきました」
「どうしたんですか? お役に立てることがあれば、協力しますよ」
すっと真っ先に立ち上がったのは、遥だった。
おいおい、なんだその顔。どこかの受付嬢みたいな澄ました笑顔作っちゃってさ。まったく、イイ男にはいつもああなんだから。やっぱ俺、考え直そ。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
渋谷は軽く一礼して、椅子に腰を下ろした。
「実は、うちの部員の二宮由香が練習中に突然倒れたんです。すぐに救急車を呼んで病院に運んだのですが、医者いわく『睡眠状態』だというんです。いろいろ検査しても原因が分からなくて・・・・・・彼女、もう1週間も眠り続けている状態なんです」
神妙に語る渋谷の表情は硬く、悲痛な色を浮かべていた。
「睡眠状態、ですか。それは奇妙ですね・・・・・・板橋教授に相談してみましょう。ちょっと待っててください」
そう言うと、遥は小走りで研究室を出て行った。
遥が出て行った後、俺は渋谷に二宮由香のことをいろいろと聞いてみた。最近疲れが溜まっていたような様子はなかったか、練習は通常どの程度の時間やっているのか、他の部員に同じような現象が起こっていないか、など。
しかし、どれも無駄な質問だったようで、ヒントになる回答はひとつも得られなかった。他に質問することがなくなると、俺たち研究生はただ黙って遥と板橋教授を待つしかなかった。
十数分後、遥が板橋教授と研究室に戻ってきた。渋谷が立ち上がって教授に深く頭を下げると、教授は渋谷の肩を軽くポンポンと叩いて、椅子に座るよう促した。渋谷は再度、二宮由香の状況について説明した。
「・・・・・・なるほど、わかりました。怪我や病気を患ったわけではなく、ただ眠っているということですな?」
「はい、そうなんです。身体を揺らしたり、声を掛けたり、いろいろ試みたのですが、どうしても彼女は目を覚ましてくれません。教授、彼女を助けてください。お願いします」
渋谷の真剣な訴えに、教授はひとつ頷いた後、遥に向かってこう言った。
「浅野くん。君の今回の研究に関係があることかもしれん。協力してやりなさい」
「は、はい! わかりました!」
遥はキラキラした目で教授に答えた。
「では、もっと詳しく由香さんの状況についてお聞かせください。場所を変えましょう」
そう言うと、遥は渋谷を連れて研究室を後にし・・・・・・
「あ、みんな、今日の研究発表会は延期ってことで。よろしく!」
「え?」
まったく、自分勝手な主宰だよ・・・・・・
「あ、成瀬。ちょっと一緒にきて」
・・・・・・やっぱりな。
第五幕 女優、二宮由香
誰もいない教室の窓際の席を陣取り、渋谷に対する遥の質問が始まった。
「これから、由香さんのプライベートな部分もいろいろお聞きすることになります。わかる範囲で構いませんので、気が付いたことは何でも教えてください」
「わかりました」
「ありがとうございます。では最初にお聞きします。由香さんは演劇部の中で、どういう役どころ、ポジションにいらっしゃるのでしょうか? 演劇の世界といっても俳優さんばかりでなく、脚本を書く人や舞台装置を作る人など、たくさんのスタッフがいると聞きましたが」
「はい。彼女は入学してすぐ俳優志望で入部してきました。子供の頃から有名な劇団に所属していて、子役で何本かの映画にも出演しています。学業に専念する為、劇団は高校進学と同時に退団したようですが、大学でまた演劇の世界に戻ってきました。彼女の演技力は演劇部内では群を抜いています」
「子役で・・・・・・あ、もしかしてあの映画『少女探偵団が行く!』に出ていたユカちゃんですか?」
「そうです。よく覚えてますね」
「私、あの映画大好きだったんです! 勇敢な小学生の女の子たちが、オトナには想像もつかない発想力と直感で事件を解決していく探偵映画! 私もあの一員になりたかったなぁ・・・・・・」
(うっマズイ。また遥のクセが出てきた。一人で勝手に空想の世界に行っちまう)
「はい、浅野さーん、話が思いっきり横道にそれてますよー」
「わかってるわよ、成瀬! すみません、話を戻します・・・・・・ということは、由香さんは演劇部のスターということですね。ちなみに渋谷さんは、どのような立場なんですか?」
「僕は演劇部の部長兼演出を担当しています。来月卒業公演を控えているのですが、主役の彼女があのような状態で、部員たちは困っています」
「そうですか。あ、もしかして新国立劇場でやる『めぐり逢い』の主役?」
「そうです。彼女は卒業後も芝居の世界で生きていくと決めていました。最近は映画や舞台のオーディションにも精力的に挑戦していて。でも、あんな状態になるほど疲れていたのかと・・・・・・僕は気づけませんでした」
「なるほど。それでは、もうひとつお聞きします。渋谷さんと由香さんは、部長と部員という関係だけでしょうか?」
(おいおい、それは遥の個人的な質問じゃないのか?)
「はい。お察しの通り、彼女と僕は2年前から付き合っています」
「そうですか、やっぱり・・・・・・わかりました」
(何がわかったんだよ)
「それからですね、これはちょっと言いにくいことかもしれませんが、教えてほしいんです。由香さんとそういう関係だからこそ、ご存知なこともあるかと思って。彼女、他人に言えない悩みがあったとか、誰かに恨まれていたとか、そういうこと、ありませんでしたか?」
(よしよし。本題に入ったな)
「そうですね・・・・・・彼女はいつも主役を張っていて、そのポジションは不動のものでした。だから、他の女子部員がいろいろと根も葉もない噂を立てたり、僕が彼女をエコ贔屓しているんじゃないかと攻撃されたり、そういうことはしょっちゅうありましたね。ただ、誰が見ても彼女の演技力は確かなものでした。他の部員とは別格なんです」
「由香さんのことを特別妬んでそうな人、いませんか?」
「うーん・・・・・・こんなこと言っていいのかどうか。でも、最近彼女から相談を受けていました。ある女子部員から嫌がらせをされていると」
「教えてください。絶対に口外しませんから」
「わかりました。早川明美という演劇部員です。彼女は由香と同じ3年生で、自分にも主役をやらせてくれと何度か僕に言ってきました。一度やらせたこともあったのですが、やはり不評で・・・・・・それからは何かにつけ、僕と彼女のことをネタにして悪口を言っていたようです。僕も由香も気にしないようにしていましたが」
「そうですか。早川明美さんですね。ちょっと調べてみます。いろいろプライベートなことまでお聞きしてしまって、すみません。私、ちょっと思い当たることがあるので、少しだけお時間ください。またご連絡します」
「わかりました。よろしくお願いします」
俺たちより上級生であるはずの渋谷は、最後まで丁寧にお辞儀をして出て行った。渋谷の姿が見えなくなると、遥は「はあ~っ」と大きく溜息をついた。
「やっぱり付き合ってたのかぁ。残念」
「お前、やっぱりそんなこと考えてたのか? まったく。それよりさ、思い当たることってなんだよ」
「うん、そのことね。さっき板橋教授とも話してたんだけど、面白い情報があるの。研究レポートのための取材で、ある女性とコンタクトがとれてね」
第六幕 辻堂美鈴の秘密
ここから先は
¥ 100
この記事が参加している募集
サポートして頂けたら嬉しいです(*^^*)