長年入院していた母が病死したのは、私が小学生の時だ。

子供の頃の私は友達と遊びたい気持ちが優先し、面会を面倒くさがったりした日もあったが、父に連れられほぼ毎週末、母の病院に通っていた。

母亡きあと、当時は珍しい父子家庭になった。

あの頃の時代背景もあるが父はザ・昭和の人間で、父の機嫌で殴る蹴るは当たり前だった。

私の育った環境は、今で言う機能不全家族だ。

そんな父も数年前に亡くなった。


暴力は理解はできないが、少しずつあの頃の父の気持ちを理解できるようになってきた私がいる。

たぶん父は、言い知れぬ不安と孤独感と絶望感、それでも毎日来る明日に必死だったのだろう。

仕事をしながら不慣れな家事や子育てを1人でし、どんなに大変でも毎週末欠かさず母(妻)の元へ子供を連れてお見舞いに行く、それが父の日課で、母に対する愛だったのだ。

父の気持ちを少しずつ理解できるようになったのは、私も配偶者を病気で亡くしてからだ。



言うのは簡単だが、生活しながらそれを継続することがどんなに大変なことか。


ごめんねお父さん。

ありがとうお父さん。


もうすぐ父の誕生日。










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