すてきな街道歩き 水戸街道
街道歩きを始めた理由
山に行きたい!
40代までは、家族でよく近くの山に登った。
しかし、コロナ・膝痛・車の運転が苦手・家族の突発的な用事や天候などで予定が立てにくい…などの理由で、山にはなかなか行けなかった。
そんな時、たまたま通った道で、「陣屋跡」というのを見つけた。
陣屋って何?もしかして、参勤交代とかで昔の人が歩いていたところ??
陣屋をネットで調べているうちに、昔の人たちが通った道(街道)が残っていることがわかった。俄然、街道に興味がわいてきた。
街道歩きであれば、
・高低差がないから膝も痛くない
・今の交通の要所を起点としている所が多いから、電車でのアクセスがいい。
・家から通えるから、突発的な予定変更も可能
・おまけに私が好きな歴史の風景にひたれる
これなら、山登りに変わる、今の私にぴったりの”楽しみ”かも・・
ということで、夫と一緒に自宅からの電車のアクセスがいい水戸街道をまず歩いてみることにした。
街道歩きの準備
ネットを見ると、街道歩きをしている人の記録がたくさん出ていた。街道歩きを楽しんでいる人はいっぱいいるみたいだ。それを読みながら、旧街道と今の道路の両方をざっと調べる。
水戸街道は東京北千住から茨城水戸まで約116kmの街道。水戸徳川家と江戸を結ぶ街道として、5街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)に次ぐ重要な幹線だったようだ。
図書館で水戸街道についての本を借りてきた。中でも今回とってもお世話になったのが山本鉱太郎氏の『旧水戸街道繁盛記』上・下。1994年発行の本である。街道沿線の歴史や、陣屋の種類、一里塚の意味、馬頭観音など観音さまの違いなど、知らなかったことがいっぱい載っていた。しかもとてもわかりやすい地図がついていて、要所ごとの地図を見ながら歩くことができた。
私の足の状態や歩くスピードを考えて、116kmを4日間、2回に分けて歩くことにした。北千住から柏、柏から牛久、牛久から石岡、石岡から水戸の4回である。1日約30km。昨年、牛久沼を一周しようとして途中で断念したときは、23kmぐらいの地点で足が動かなくなった。それを考えるとかなりの強硬軍である。電車で家に帰るのもしんどくなりそうなので、全国旅行支援の制度が使って、1回目は柏、2回目は石岡で宿泊することにした。
1回目 1月20日~21日 北千住(東京)~牛久(茨城)
スタート地点の北千住。起点の目印を期待していたが、駅について遊郭の遊女たちのお墓を見た後、夫が「あれ~、川があるから一回電車に乗って川を渡らなあかんみたいや」…なんだと。夫は詰めが甘い。「行き方はばっちりや」と言っていたので信じた私があほだった。次回からは私が事前に地図を確認しようと思った。
今回の水戸街道を歩いた中で、私が一番気に入ったのが、茨城県龍ヶ崎市の若柴宿である。アスファルトの道を歩いていくと、突然竹や木で覆われた道に入り、とてもわかりやすい宿の案内板を見て、そこが若柴宿であることがわかった。街道からいくつもの道が出ていて、その一つ一つがさらに別の小さな道につながっていた。今回、東京、千葉、茨城と3つの都県、市を歩いたが、ここが一番きちんと宿を文化的な遺産として保存しようとしていることを感じた。
2回目 2月3日~4日 牛久(茨城)~水戸(茨城)
街道歩きの沼にはまった!
歩き始める前は、"歩く"という事だけに気持ちがいっていて、とにかく毎日30キロ近くを歩けるかということを気にしていた。
実際歩いてみると、田んぼの中の大きな農家さんのお宅を見たり、地域ごとのマンホールや、街道が栄えていたころからのお店、お地蔵さんなど街道沿いに残っているその地域ならではの物や、今は見ることができない昔の物(土浦で見つけた電話番号のプレートなど)を見つけるのが楽しくて、「かなりの距離を歩く」ということを忘れてしまっていた。
通り過ぎるだけの街にも、愛着がわいてきた。
石岡の焼きいもや北千住のおせんべいのお店など、その土地に残っている隠れた美味しい食べ物に出会えた。
5街道のような大きな街道もいいが、その街道から枝分かれしている小さな街道も面白そうだ。
どの街道にしようか・・と考えるだけでも、楽しくなってしまうのだ!