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二拠点生活を始めた理由

世間一般で言われている二拠点生活は、都会に住んで仕事をして、もう一カ所の自然いっぱいの場所で休みを楽しむという感じだろう。しかし、私のしている2拠点生活はそれとはかなり違う。まず、2カ所とも田舎だ。そして、私は仕事をしていない(正確に言うと、2拠点生活を始めると決めたときに、「今年は仕事をしない」と決めた)。さらに、2カ所の拠点のうち、月の3分の1を過ごしている四国は、私の家ではなく、娘家族4人が住んでるアパートだ。私の2拠点生活は正確に言うと、「孫大好きばあばの、孫んち入り浸り生活」かもしれない(汗)

二拠点生活は突然始まった。コロナ担当の保健師として、忙しい毎日を過ごしていた2020年9月、娘から突然「切迫流産で入院する」と連絡が入った。まだ2歳の上の子くまたの世話や家事をするために、翌日に四国に飛んだ。娘は1週間で退院できたが、出産予定の2月までは、自宅でトイレとお風呂と食事以外は安静にしたほうがいいと医師から言われた。
くまたを預かってくれる保育園がないか、くまたを私の自宅に連れてくるのはどうか…など色々な方法をみんなで考えたが、私が仕事をやめて2月の出産まで手伝うことがくまたにも、娘夫婦にも一番いいことがわかった。職場には無理をいい月末で退職にしてもらった。

こうして、第一回目の二拠点生活が始まった。娘の夫のゆう君の弁当、朝昼晩のご飯作り、洗濯、買い物、掃除。それまで、仕事優先であまり家事をしてこなかった私の、初めての専業主婦生活だった。自宅に残った夫は、仕事人間だった私が家事ができるかを心配していた。しかし、やってみると意外に楽しかった。そして何より楽しかったのは、くまたと遊ぶことだった。ママが寝たきりで抱っこもしてもらえないので、家事を済ませると、毎日いろんなところに一緒に遊びにいった。

毎日遊びに行った神社

近くにある子育て支援センターには、ほぼ毎日通った。大きなデッキがあって、自由にお水で遊んだり、裸足で追いかけっこができる天国のような場所だった。スタッフの方は、家の事情もよく知っていて、私にもよく声をかけてくれた。

くまたと過ごしていで、自分自身の3人の娘の子育てのことや、母と自分の関係のことを色々考えた。敏感で、傷つきやすいくまたを見ていて、同じような性格の私を母はどんな思いを育てていただろうと思うようになった。
くまたが好きなことを思いっきりして、何かを感じて辛くなっている時にはそばにいて、わかってやることができることがうれしかった。くまたが言葉や人との付き合い方や、身の回りのことをする方法を覚えていくのを見るのもとても楽しかった。

2月に無事二人目の孫のとらたが産まれた。産後1か月まで四国にいて自宅に戻った。
前の職場からは、ありがたいことに何度も「また仕事をしないか」という連絡を上司からもらった。お誘いを受けてすごく迷った。自分の中の目標だった60歳まで働くということは達成できたけど、まだまだ働くだけの体力はあった。しかし、自分なりに考えて、「今年度は仕事をしない」と決めた。
ゆう君は仕事で月の3分の1ぐらい家にいない。娘もゆう君が不在の時に助けて欲しいといってきた。四国での生活があまりにも楽しかったし、四国から帰ってきいる期間の自宅の生活も、はりがあって充実していた。「仕事をしない」と決めたあと、「今年度は四国と関東の二拠点生活をする!」と決めた。なんだかわくわくしてきた。ここから何か始まりそうだった。



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