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かつてここに存在していたものたちへ

その時私は母とカフェにいた。

一緒にドライブしては、行ったことのないカフェに行くのが好きで、
母とゆっくりした時間を過ごしていた。
携帯電話を開いてメールを作成する。
グループにしているので一括送信は楽である。

私は前日に中学校を卒業していた。
部活やクラス、たくさんの友達との別れ、
ずっと一緒にいた幼なじみとの別れ、
大好きな先生との別れ、
お世話になった校舎との別れ、
たくさん泣いた記憶がある。

卒業式ではアンジェラ・アキさんの
「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を歌っていた。

2週間後に控えた高校生活に向けて気持ちを切り替えるのは少し後で、まだ卒業の余韻に浸っていた。

その頃、自転車で移動できる世界が全てだった

その頃、空の写真ばかり撮っていた

その頃、大好きだった愛犬が生きていた

その頃、家の近くの菜の花畑はまだあった

その時、私は母とカフェにいた

その時、東北に地震が来た

………

………………

ふと我に帰る。
2021年を生きる私は今、友人の結婚式を祝うため、実家に帰っていた。
母がいつも「私が好きそう」と言って録画してくれているテレビの特集を見ていた。
そこで流れていたのは震災を受けてアーティストたちが何を感じて何を伝えようとして何を創っているか、という特集だった。

小森はるかさん、瀬尾夏美さんというアーティストの作品がとても印象的で「二重のまち」という「2031年、どこかで誰かが見るかもしれない風景」という副題を持つ短編の物語が紹介された。
紹介された時間の中で全て捉えることはできなかったが、震災を知らない子供達に、父となった誰かが「この埋立られた土地の下にはかつての自分の生きたまちがあった」と伝える物語だった。

@komori Haruka+Seo Natsumi

……………

………

また記憶の海に潜るような感覚がやってくる。

それは2018年5月9日のことだった。
私は父と母と姉と、父の実家へ向かった。
熊本県の山の奥の奥。

8人乗りのエスティマが山道に合わせて揺れる。
道かわからないような道を巧みに運転していく父と気をつけてと心配している母。
私にとって記憶がきちんとあるうちに父の実家へ向かうのは初めてだった。

着いたのは本当に山奥で
車を止めて少し歩く。

そこは、誰もいない静かな山だった。

廃屋が一つあって
「ここが俺の実家だよ」

と父が言った。

そして私は写真を撮り始める。


父が住んでいた家はボロボロで
苔が生えていたり、窓が抜けていたり、
空のオロナミンCの瓶、農作業の道具
あたりを埋め尽くす植物たち、
それがとても綺麗で儚く思えた。

父が何もない原っぱを指差して言った。

「ここは〇〇さんの家があった場所、
あっちには〇〇さんの家があって、
その隣には〇〇さんが住んでた。」

「ここには畑があった。」



その時に思った。


私にはただの野山にしか見えないけど、
父には見えていた。

かつてそこにあった

誰かの笑顔

悔しい思い

なにかに焦がれたこと

眩しかった光

好きな香り

草花の色

聞き慣れた音

家族の風景

あたたかな時間

そこには確かにあった。

確かにあった。

かつて

ここに存在していた人と自然の営みが。

なんだか悲しそうな、それでいて懐かしそうな
父を見て私も胸が熱くなった。

父が落書きをして子供頃に怒られたと言っていた

私たち以外誰も見ることのないかもしれない
神様のいる小さな古屋に
父と一緒に私も落書きをして帰った。

………

……………

父が言った
「誰にでも二重のまちはあるのかもしれんねえ」

という言葉でまた現実に引き戻された。

今は2021年、あれから10年が経とうとしている。

かつて10年前に存在していた東北の姿はなく
かつて20年前に存在していた父の家もない

昨日消えていった命もあれば
明日生まれてくる命もある

この世は存在して、形がなくなっていくことの繰り返しだ

そんななかで、
かつて存在していたものたちを
失いたくないと思ったものたちを
小さな私たちは必死に記憶し、記録して、何かにしたいと願う。

失われたものことを悲しんだり懐かしんだりすると同時に
この美しかった営みをどうやって残して、受け継いで、引き継いでいけるかと考える。

また3月11日がきた。
こうして考えるきっかけをくれてありがとう。

あまりまとまっていないけれど
言葉にしたいと思い、noteを書きました。

今、私も何か形にしたいと思っています。
私もかつて存在していた存在になるのだから。

答えのないような話。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

また明日もいい日でありますように。

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