「〇〇べき」と距離を置く

日々を遊ぶ。
そのくらいの気持ちでいれたら最高だ。

世の中には「〇〇すべき」という表現が多すぎる。
ああしろこうしろホンニャラムニャムニャ。
気がつけば360度「〇〇すべき」に囲まれる。これじゃあシンドイ。
どれくらいシンドイかと言うと、もうそれはそれはとてもシンドイ(例えになっていない)。

先生の言うことは聞くべきだ。
子供は無邪気であるべきだ。
学校の勉強はするべきだ。
先輩には礼儀正しくあるべきだ。
大人はしっかりしておくべきだ。
僕は大人びた子供がいてもいいと思うし、尊敬できない先生の話なんて聞かなくていいと思う。しっかりはしてないけれどスゴイ楽しそうな大人がいてもいいと思う。

小さなことから大きなことまで「〇〇すべき」が住み込んでいる。
ただ「〇〇べき」は、ここ数年で見直されつつもある。多様化という言葉が流行り、“個性尊重”を謳う団体が増えたからだ。
男はこうあるべき。
女はこうあるべき。
雇用はこうあるべき。
社会はこうあるべき。
あちこちで議論が繰り広げられている。
いっそのこと「〇〇べき」という言葉がなくなれば楽になる人が多いのにな。

Aさん「〇〇すべき!!」
Bさん「それも大事だけど、一回忘れて遊ばない?」
そんな人がいても面白いな。

「〇〇でもいいんじゃない?」
それくらいがいいな。

日々を遊ぼう。
そのくらいの気持ちでいれたら最高だ。
難しいことはいっぱいだからね。

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