マルクス資本論のブックカバーをエロ本につけて電車で読むつもりがエロ本のブックカバーをマルクス資本論につけて来てしまった男の話
人はどうあろうと、やはり愚かなものである。
それはどうやら、マルクス資本論のブックカバーをエロ本につけて電車で読むつもりが、エロ本のブックカバーをつけたマルクス資本論を持ってきてしまった私にも該当していると言わざるを得ない。
大学中退後、家に引きこもり親の脛を貪り尽くす生活を始めて早十五年の私の人生において、マルクス資本論などに興味を示すはずもなく、興味があるのは『亀甲縛り幼女の搾乳絵巻』である。
労働などしたこともない私にとって、資本家による労働者の搾取が……などといったの文章の羅列は拷問に等しい。
私が読みたいのは搾取ではなく搾乳であり、経済学批判だの社会的生産などといった言葉に用はなく、あるのは『あんあんらめぇえええっ! 出ちゃうぅううううっ!』という亀甲縛りされた幼女の悲鳴である。
電車の中は、なかなかに混み合っているというのに、私の両隣には誰も座っていない。
だが、勘違いしないでいただきたいのは、今の私は、あくまで『マルクス資本論』を読んでいる男性に過ぎない。
ただ、マルクス資本論のカバーが亀甲縛りされて搾乳されている幼女のイラストというというだけなのだ。
もし、これが本来の通りにマルクス資本論のカバーをつけたエロ本であったならば、私の両隣が空席になることはなかっただろう。
とどのつまり、人間など所詮は外観だけで判断する愚かで浅はかな動物だということである。お前らのようなバカな連中が作り出した社会に、私が馴染めるはずもないのだ。
隣町を散歩して、もしアルバイトを募集しているコンビニがあれば、面接に申し込むくらいのことをしてもいいと検討していたが、気が変わった。
いつも通りチャーシュー山盛りのラーメンを食べて、帰って寝る以外に選択肢など存在しない。
人間、浅はかなり。