ミセス・ハリスとパリに行ったら、自尊心という名の魔法をかけてもらった
『ミセス・ハリス、パリへ行く』を観て、なんだかつい観賞後に拍手で讃えたくなった。そんな、胸いっぱいになった映画のお話。
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詳細なネタバレは無いけれど、ストーリーの大まかな内容には触れています。ご注意ください。
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正直に言うと、「出来過ぎ」感満載な映画なんだ。
日々を素直に生きている人へ突如降りかかる幸運と、ときにその幸運が転落して大きな不幸になるけど、日々の良い行いのおかげで更なる大きな幸運へとなって自分の元に返ってきてくれる、そんなストーリー。
言ってしまえば、映画の中でも出てくる通り、まさしく「おとぎ話(fairy tale)」だ。メインテーマにもなっているDiorの変革について描かれてもいるが、それも現実味なく感じられる。
ディズニープリンセスの映画だと言っても差支えがないほどに、本物のおとぎ話だと思う。
でも、だからこそいい。
こんなおとぎ話だからこそ、「よくわからないけど胸が躍る」みたいな気持ちを抱かせてくれるんじゃないだろうか。
それと同時に思ったのが、おとぎ話を純粋に楽しんで感動できる心をいつまでも持っていたいな、ということ。
冒頭にも書いた通り、冷めた心で見てしまえば、この映画は出来過ぎなストーリーであり、こんな幸運と悲劇を繰り返して最後はハッピーエンドというような主人公にはなかなか共感できないだろう。
「映画のだからこそ、こんなにお人好しな人が存在してるんでしょ」
「現実はこんなうまいこと成功しないよ」
なんて思いながら観てしまうかもしれない。
それに、おとぎ話であるがゆえ、優しさとか夢とか信念とか、そういう説教臭い部分も出てきてしまう。
でも、そもそもおとぎ話に共感しようだなんて、なんだか馬鹿げてるとも思えないだろうか?
例えるなら、シンデレラがいじめられる哀れさと魔法使いが来て夢のひと時を過ごす幸福に共感するみたいなものだ。ちょっとそういうイメージはなかなか思い描けない。
もちろん、共感する人はゼロではないだろうし、シンパシーを感じる場合もあるかもしれない。でも、おとぎ話の役割はそうじゃない。おとぎ話の役割は、夢を与えてくれること。
この映画は一見ヒューマンドラマに見せかけた、純粋なおとぎ話だったんだ。もちろんストーリーは「夢」が大きな鍵ともなっている。
ミセス・ハリスというプリンセスが夢をかなえるための2時間なんだ。
そして、おとぎ話に出てくる「夢」を観て感動するには、おとぎ話を純粋に楽しむ心があってこそなんだと思う。
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話題は変わるが、私はいつも思考や物事の捉え方などがなんでこんなに単純なんだろう、どうして柔軟にいろんな考えが浮かばないんだろう、どうして違う感情を抱けないんだろう、と悩んでいた。
当たり前だが、ほかの人の意見や感想は新鮮に聞こえる。
なのに、私が思いつくのはいつも月並みなものばかり。
でも、だからこそおとぎ話を今でも純粋な気持ちで楽しんで、作り話のハッピーエンドに心震わせることができるんじゃないか、なんて思ったのである。
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この映画を観て、やっぱり月並みなことを思った。
「人に親切にするのは大切だよな。情けは人の為ならずだもんな。」
「実直に笑顔で生きていれば、幸福が降り注ぐんだろうな。」
感想を言葉にするとほんとうに、いささか情けない。
でも、それでいいじゃない。私が感じたことは、シンプルにそれがすべてなんだから。
素直に物事を受け取れることこそが個性なんだと、
おとぎ話を素直に楽しめるのも個性なんだと、
そう思おうと感じた。
ミセス・ハリスは、私に夢をくれただけじゃなくて、自分を肯定できる魔法もかけてくれたみたいだ。
さ、この冬はDiorの香水でも買い行こうかな。
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