【要約と学術的意義】藤井匡「隠喩としての装飾:伊藤誠の彫刻の表面」
(1)要約
本論の目的は、全体像を把握することが困難な伊藤誠の彫刻を、その彫刻の形態と表面の剥離の問題から論じることでその困難さを明らかにすることである。
伊藤誠自身の彫刻を「一見何がなんだかわからない物」を目的としている。しかし、その目的は新しい造形を作り出すことではなく、鑑賞者の視線の変化によって得れる造形の特徴である。このような作品は、伊藤の作品においてメッシュを使った彫刻作品に現れる。そのような作品の形態を不透明かつ捉え所のないものを本稿においては対象として扱っている。
伊藤のメッシュを用いた作品は、それらが不透明な彫刻である。そこで、峯村敏明による<かたまりの彫刻>(1993)の理論を介し検討をするが、伊藤の作品がその<かたまりの彫刻>の圏外にありながらも「物自体」として見なす他ないものであることを示す。更に、コーリン・ロウ建築比較論を援用し、「実」のものとしてではなく、「虚の不透明性」を持った彫刻「つまり、奥行きのある抽象的な空間に、非並行的に位置付けられた物体を、非分節的に表現する時に、それが生まれるのではないか」と仮定する。具体的な例としては、マティスの《身をくねらす女》(1909)、伊藤の作品でいえば《にら》(2018)が挙げられる。
また、マティスの《身をくねらす女》のもつ動的な表現にも着目する。このような動的な動きは、マティスがたびた語られる装飾性の表現につながる。マティスが語る装飾性は画面の上での調和や「図」と「地」の関係を示すものである。そのようなマティスの装飾性を表現したとするのならば、それは彫刻をマッスやボリュームを重要視するリードからは批判され、運動や行為に向かうものとして捉えれている。ここで、彫刻そのものの装飾文様化するようなタイプとして新しい彫刻の理論が成り立つ。
装飾は基本的には事物の表面を飾るものであり、それ自体が独立して存在するものではない。本稿ではそのような装飾の特徴を、柄谷行人の<隠喩としての建築>に対抗する思想して、<隠喩としての装飾>としての彫刻として捉えている。隠喩としての装飾は、装飾自身が生成へんかさせていくものの考えを貴重として、それ自体が動きから行為を内包するようなものであると言える。ここでリーグル『美術様式論』、アンリ・フォシヨン、立田洋司、鶴岡真弓を引用し動きを伴った装飾の生命力の事例を挙げている。
更に、ヒルデブラントの『造形芸術における形の問題』を援用し、伊藤の作品は存在する形と作用する形を積極的に切り離していくことを確認する。
また、リーグルの『末期ローマにおける美術工芸作品』における基礎平面の解体、触覚的な把握から視覚的な把握への理論が、「虚の不透明性」である伊藤の作品を説明するのに相応しいと判断する。本論では、①透かし彫り、②楔形彫り、③象嵌、④エマーユのリーグルの捉え方と合わせて論じている。そのような伊藤の作品群に見られる装飾的技法の特徴において、その出発点を写真とドローイングを用いた伊藤の作品を分析している。このようなドローイングにおける物質性や支持体との要素を分析している。
(2)学術的意義
本稿は、伊藤誠の彫刻を装飾という面から考察している。美術史における装飾については、諸説ある。例えば、装飾の生命力として論じた<隠喩としての装飾性›に対する<隠喩としての建築>としての装飾は、ジョージ・オーウェンス、ゴーフリット・ゼンパー、アドルフ・ロースの装飾に対する思考が害とするという。それは気の主義に依拠するものである、還元主義に依拠するものであれ、芸術のモダニズムを推進する力となった「自然に負けることない、秩序や構造」を用いた建築理論だからである。ゼンパーはその上で、装飾の特性を被膜として扱っている。同様に、本稿で論じた伊藤も被膜の問題に関与しているが、ここでは表面と構造との関係性は明快なものではなくなる。
近代彫刻は、一般的に装飾を皮膜として否定的な表現として捉えてきた。本稿における伊藤の彫刻を取り上げ、装飾からの観点で論じる点は、これまでの近代的な彫刻の理論に対して新しい視点を与えるものではないかと推測する。