煉瓦&廃線その2:廃線レンガはもっとエモいぞ編。
廃線×レンガは最高にエモいということについて、お話しします。
前回の予告通り、今回は現在にも煉瓦を残す廃線を訪問します。
煉瓦は、その独特の色合いと簡潔ながら堅固な構造美が、とても良い。
廃線は、無限に広がる歴史の重みを交通史の視点で体感できるということが、とても良い。
煉瓦のエモさに、廃線のエモさをかけ合わせれば・・・もはや説明は不要でしょう。
真春の昼下がり、白熱した欲求は遂に危険な領域に突入する―――
親不知北陸本線廃線
おはようございます。
ここは新潟県糸魚川市、富山県との県境を越えたばかりのえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン市振駅に降り立ちました。
駅の目の前に海、そして背後には断崖絶壁の山々。
学生の時分、地元である富山県から東京都へと向かう際に幾度となく利用した路線ですが、ここで降りたのは初めてです。
いい田舎の雰囲気の駅にある煉瓦構造物、現存する数少ないランプ小屋が、この後訪れる旧北陸本線廃線隧道の存在を示唆しているように思えました。
駅を出た後は、市振の集落の間を抜けてしばらく進みます。
北アルプスが日本海に直接首を突っ込んでいき、それにより創られた天下の険・親不知をすぐ目の前に控える当地。
北側にあるこの集落は、天気のいい朝方なのに暗がりの雰囲気となっています。
こんな急峻な土地であっても僅かな平地を見つければ人間が集まるという、日本人のご先祖様たちの執念を感じますね!
市振の集落を越えると国道8号に合流。
いや、そもそも開発できる場所が無いために国道8号以外のあらゆる道が消失します。
片道一車線歩道無し、それでいて交通量が多い!
トラックがやたらと多いぞ!幹線!!死ぬほど肩身が狭い!!!
ギャーッ!
そんな国道8号をしばらく歩いて、取ってつけたような歩道が出現。
ふうん そういうことか
この橋、絶対廃線跡だとは思うのですが、古地図ではイマイチ確証が得られない。
同区間の旧北陸本線は大正元年(1912年)開通、昭和4年(1965年)から翌年にかけての複線化工事において旧線部分をすべて放棄し現在の山側のトンネルルートに付け替えられたという歴史は、事前調査で確認済み。
地理院地図にこの歩道が描かれていないのもありますが、どうなんでしょうかね?
その歩道橋からしばらく進むと遊歩道に入ります。
歩道橋が廃線跡だとすれば、それすなわちこの遊歩道も廃線跡だということになりますが、目的の隧道まではこのようにキツイ階段を下っていくので、辻褄が会わない。
また謎が深まりましたね!!
やはり文献資料… そして現地での文字資料の収集と現地の方々への聞き込みが必要なのです…
再走しないとなァ…。
さて轟轟とする波の音が近づくにつれ、件の目的地が目に入ってきました。コチラが今回の目的地、旧北陸本線の親不知隧道です!!!
大正元年(1912年)開通、三セク化したとはいえ北陸本線自体は現存しているので、その廃線とは何だか変な感じ。
海は目の前、山も目の前。
技術力さえあればこの隧道をわざわざ造る必要はなかったのだという、親不知の凄まじい交通史を体感できますね…。
美しいイギリス積み、想像よりも保存状態は悪くない。
馬蹄形のアーチをくぐり、踏みしめる轍には枕木を思わせる残骸。
正体がよくわからないのですが、錆びた金属やら木材が散らばっています。
退避坑の窪みはここが鉄道遺産であることを強く想起させてくれます。
壁面には蒸気機関車の煤がいまでも張り付いており、触ってみると確かに黒いのが付着、洗ってもなかなか取れないことに驚いた。
思い返せば私は人生で一度も蒸気機関車に乗ったことがないし、これはまさに、時代を感じる石炭ですね!
反対側に出ました。いいレンガだァ…
奥にも別の煉瓦隧道が続いているようですが、一目で分かるような崩壊具合から立ち入りが規制されています。
そう思えば思うほど、いま自分が通ってきた隧道が「生きている」ということに、大いなる悦びを感じますね!
親不知ってヤツは結構タフだな
いい隧道探訪を終えて再び国道8号に合流、今日はこの足で東京に行くので、帰りは隣りの親不知駅まで向かいます。
またまた肩身を狭い思いをしながら歩いて数km、眼前に現れる土木工学の結晶体は、E8北陸道の海上道路。
道を敷く場所が無いなら、崩壊する危険があるなら、海の上に造ればいいじゃない。
単純明快、現代人類の土木技術の結晶体でした!
旧東海道本線大崩海岸区間
再びおはようございます。
続いてやって来たのは静岡県は焼津市、東海道本線焼津駅です。
ヤマトタケルが天叢雲剣で焼き払った地であるということ、特定第三種漁港のひとつであるという事前知識以外なかったのですが、いざ降り立ってみるとありがちな港町、というよりは栄えている市街地。
ここから静岡県道416号を北上、峠を越えて静岡市に入り用宗駅までの一駅散歩を決行します。
今回の目的地は、その名も大崩海岸。
地名の由来が一瞬で察せられる凄まじい地であり、21世紀現在に至るまで幾度もの地形崩壊に見舞われた歴史を持ちます。
今回はその歴史の一端を、廃線を通じて体感しようというわけです。
しばらく県道を登り、いくつかのホテルが立ち並ぶエリアまでやって来ました。
正面にある県道トンネルは目新しさがあり、右手には不自然な分岐が。
記事によると平成25年台風26号の甚大な被害により地盤沈下が発生、平成29年に現県道の新トンネルが開通し、旧トンネルは封鎖されたとのことです。
人生の悲哀を感じますね
トンネルを抜けてさらにしばらく進むと、崖と崖の間に小浜という集落が。先ほどの浜当目トンネルが使用できなかったとなると、確かにこの集落は陸の孤島になってしまう。
しかしそれでも、わずかな平地を見つけ出して住んでやろうとする気概、市振の時と同じく、ご先祖様たちの逞しさを感じる光景ですね!
さらに登り歩いて峠を越え、ここからは静岡市です。
ありがとう焼津市!よろしくね静岡市!
この日はそこまで交通量も多くなく、よい海沿いの雰囲気もあってなかなか快適でした。
しかし、下調べをあまりしていなかったせいで、どこが目的地への分岐なのかよくわからない。
明らかに行程の半分以上は過ぎているだろうに、なかなかそれっぽい場所がない。
悩みまくり悶えまくり白目剝いて吠えまくり、それなりに坂を下りしばらくすると…。
なにっ
目的の隧道を示す僅かな看板が出現ですが、えげつない藪で草しか生えないwww
ほんとにここであっていますか???
でも、謎の駐車場スペースも確かにあるし…。
お前もう生きて帰れねぇぜ?意を決して進みましょう。
アッ、轍だ!ロープだ!
全く道だとは思えない水路のようなコンクリートの上のキツイ傾斜を進んでいきますが、ロープのおかげでこの先に目的の物件が確かにあるのだという安心感があります。
なんかあったかい(錯乱)
そしてしばらく歩くと視界が開けていき、波の音が明瞭になっていきます。
足元に誰かが置いたか分からない梯子を発見、視界左手に見える、異様な存在感を放つ物件こそが…!
絶 景 か な
こちらがかつての東海道本線、旧石部隧道の2023年現況であります…!!!
明らかに異常な空気感、文明崩壊、自分は本当にここに居て善いのだろうか?
心の奥底が擽られるような焦りと興奮と酔狂。
憧れは止められねえんだ!
結局好奇心が勝ち、ロープを使い隧道内部、上り線側に進入。
かつてお住いの方が使っていたと思われる生活の跡がありますが、もちろん照明などない上にガラス片が落ちていますので注意して進みましょう。
隧道奥は土で塞がれていますが、この隣に現役の東海道本線が走行しているはずで、結局はここで行き止まり。
電車の音が聞こえるような聞こえないような気もします。
しかしそんなことより、いつ崩壊するかもわからないという恐怖心がじりじりと湧いて、どうしても浮足立ちます。
これ以上は危険や 探索を止めるぞ
下り線については、ロープが垂らしてあって登れないことはないのだけれど…
さすがに何かあった時に対応できない気がしたので、断念。
この光景を目にして、危い挑戦をするのは無謀過ぎますよねぇ!(涙目)
再 走 し ろ
そして、海岸に崩落している巨大な煉瓦構造物たち。
思ったよりも風化が進んでいない明瞭な赤色と、いくらかある白い花崗岩の装飾石。
先ほどまで踏み分けてきたのは植物の緑色、いまようやく眼前に待ち受けているのは美しい海の青色。
実際に行ってみると分かるかと思いますが、転がり落ちている廃線隧道のパーツはそれぞれがデカく、すごいんです(語彙力喪失)
筆舌に尽くしがたい、恐るべき感動を初めて覚えました。
弧を描くこの煉瓦たちは、間違いなく隧道のアーチ部分。
こんな至近距離で隧道アーチ部に接近することがあるでしょうか?
いやない。
剰え反転しているアーチ部に立つというのは、有り得ない体験。
試しに座ってみた。
…全く落ち着かねぇ!
しかし、あまりにも異常過ぎるこの光景。
海越しに市街地や車の流れが見え、秘境感などはほとんど無い。
それでいて、私史上前代未聞の天地逆転トンネル、背後に迫る断崖と、つい先刻まで享受していた文明の残骸が語り掛けてくる歴史の事実というものが、筆舌に尽くしがたい新鮮な感動を与えてくれます。
海も山もでけぇなお前(褒めて伸ばす)
廃線堪能を終え、焼津と静岡を隔てる山を抜けたその先にあるのは、性悪地盤との付き合いを放棄した海上道路という回答だ!
こういう海上橋、親不知にもありましたよね・・・!
よくよく考えてみると、親不知も大崩もフォッサマグナ西縁にあるユルユル地盤地帯。
そして山側には、放棄されたトンネル(ロックシェッド?)群があり、海と断崖絶壁と人間の営みとが織り成す光景に時代の変革を感じる。
マジすげえ体験でした!
おわりに
以上、フォッサマグナという日本列島の壮大な自然史までをも実感できる、素晴らしい廃線レンガの体験でございました。
前者は私の地元に関わる物件ですのでよくよく身に染みた一方、後者は真に未知の感動経験であり、旅行を趣味として3年以来で最も印象深い旅となったものであります。
筆と写真もノってしまいました。
やっぱ、廃線と煉瓦の組合せを…最高やな!
しかしながら、親不知は観光地化されている一方、大崩は観光地化されていないしそもそも保存する気がないような荒廃具合。
まあだからこそ廃線になった訳ですし、そもそも交通の用がない廃線など、観光地以外の役割を見出せるかというと、難しい。
全国的にどの自治体もお財布事情が苦しい中、マイナー観光地としての役割しか与えられないのであれば、廃線隧道の未来はむしろ後者に近いのかもしれません。
だとしても…何らかの形で後世に語り伝えていけるといいですね!
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