地名その3:アイヌ語地名の謎を探る編。
アイヌ語地名の謎について、お話しします。
地名シリーズ、第3回。
今回は、我が国の地名ルールにおける特殊の最たるもの、アイヌ語地名について語るときでございます。
北海道旅行をしていると、どうしても気になってしまう、内地とは全く異なる地名たち。
あるいは、内地にもふつうにありそうな地名も。
とても気になるのだけれども… 北海道旅行は楽しすぎて、なかなか調べる余裕がない!
しかしながら、この地名規則は、やはりいつかは解明しなくてはならない。そういうことで、いつもよりは学問的で、難しいのだけれども…
ここに書き記しておくことにします。
時が来たわよ~
アイヌ語について
地名の話の前に入る前に、前提として、アイヌ語という言語について簡単に説明を。
日本語とは異なる言語系統と考えられるが、系統不明。
母語話者はほぼ断絶。
一般的に抱合語とされ、動詞の周りが充実。
開音節と閉音節、高低アクセント。
北海道は広いのでもちろん方言差もある。
日本語と交流が盛んであったため、それぞれの言語で借用。
正直なところ、方言についてはあまり理解が及んでいません。
機会があれば、その辺も追及していきたいですね…
ちなみに、借用の代表的な単語としては、
アイヌ語→日本語:「コンブ(昆布)」「ラッコ」
日本語→アイヌ語:「クスリ(薬)」「オッチケ(折敷)」 など、
たとえば、道東の広域知名・釧路の由来として、釧路川上流に湧き出る温泉から薬水が流れ出ていたことから〈kusuri〉と呼んだという説もあるため、身近な用例であると伺い知れます。
なお、〈kusu-ru〉で「越える道」を意味するなど、ほかにも異説は多い模様。
そんなところでしょうか。
いまではアイヌ民族・アイヌ語もそれなりに人口へ膾炙したようにも感じますし、学習もしやすい。
ウポポイのホームページや北海道庁の非常にレベルの高い資料などからも、有益な情報を入手できる、良い時代です。
詳しく知りたい方は、是非こちらもご確認ください.。
北海道における頻出地名
それではようやく、アイヌ語地名についてのお話。
まずは、頻出するアイヌ語地名のルールについて探っていきましょう。
しかしながら、日本語の地名の場合と同じく、その体系は複雑であり、私の理解では纏めて語ることはできない。
ということで今回は、「北海道における地名の特徴」という観点に絞って、アイヌ語地名の類型について分析したいと思います。
後述するように、アイヌ語地名は内地でもみられるうえ、そもそもアイヌは北海道に固有の民族ではないため、広義では「アイヌ語地名」という議題からは外れるかもしれませんが、悪しからず。
詰め込み過ぎず、ゆっくり覚えていきましょう!
その1:アイヌ語の音に当て字した地名
☆凡例【アイヌ語の意味 / 当てる漢字 / 地名の例】
ウェン(wen):悪い/「遠」「雨煙」/遠別、院内など。
ウシ(us-i):~のある所/「牛」「石」/妹背牛、熊石など。
ウタ(uta):窪みの地 /「歌」、あるいは日本語のウツ・ウト(空、虚)からも当てる/歌越、歌棄など。
オタ・オル(ota, or):砂浜の中/「樽」「歌」/小樽、歌志内など。
オン(onne):大きい/「遠」「恩」「温」/遠根別、温根湯など。
サル(sar):葦原/「猿」「沙流」/猿払、沙流川など。
シ(si):大きい/「士」「標(si-pet)」「蘂」/士別、標茶など。
ソ(so):滝、岩/「壮」「宗」「双」/壮瞥、宗谷など。
ト・トオ(to):湖沼/「戸」「遠」「洞」/茨戸、洞爺など。
*長音において、アイヌ語の「オ」は和人にはしばし「ウ」と聞こえたこともあるため、[トウ][トオ]区別せず両方の派生がある。トマム(tomam):湿地/「苫」/苫鵡、斗満など。
ナイ(nai, nay):川/「内」/幌加内、三内など。
ヒラ・ビラ(pira):崖地/「平」/赤平、平取など。
ペ(pet):川/「別」/美蘭別、女満別など。
ホロ・ポロ(poro):大きい/「幌」が多いが、堀(ホリ)や洞(ホロ)に変化したものも/札幌、幌加内など。
ポン(pon):小さい/「本」「奔」/本別、奔無加など。
その2:アイヌ語の地名を日本語に訳し、その意味に沿った漢字を当てたもの
旭川(忠別):〈cup-pet〉で「東の川」を意味することから、川の水源のある地から太陽が昇ることに連想。
帯広:〈o-pere-perke-p〉で「陰部がいくつにも裂けている者(少女の麗称)」から、川尻が幾条にも裂けている網状流を連想し、これに「広」の字を加えた。
神楽:〈hetce-us-i〉で「囃しつけている所」を意味することから連想。
上川:盆地一帯をさし〈peni-un-kur-kotan〉、すなわち「川上の人の土地」を意味することから。
栗沢:〈yam-o-nay〉で「栗の多い沢」を意味したことから。ただし、同様の光景をみた和人が附けた和名とも。
小清水:止別川の支流ポンヤムペッ(pon-yam-pet)があったことから、「小さい冷たい川」を意訳して命名。
鹿越:〈yuk-rupespe〉で「鹿の通路」を意味することから。
長沼:〈tanne-to〉で「長い沼」を意味することから。
市町村名に多くあるので、なんとなくイメージしやすいかもですね!
その3:入植の歴史に関連する、日本語や和人の地名
伊達市:亘理伊達氏の藩主自らが家中を率い移住し、開拓したことから。
北広島市:広島県人が入植したことから広島開墾と呼ばれていた。しかし駅設置に際し、「広島駅」は流石に紛らわしいということで、「北(直線距離で1240㎞)にある広島駅だから」ということで北広島駅と命名されたことに因る。
新十津川町:奈良県吉野郡十津川村で起きた大水害を機に被災民が離村し、開拓を進めたことから。
釧路市鳥取町:鳥取藩士が移住し開墾したことから。合併の後も広く地名を残す。
沼田町:富山県出身の豪商・沼田喜三郎が同地にて会社を設立、開拓したことから。
八雲町:徳川家旧家臣が組織的入植した場所。旧尾張藩主徳川慶勝が主導した開拓地調査の際、彼が適地である「遊楽部」の今後の繁栄を願い、スサノオの「八雲立つ」の和歌から取り名付けた。
その4:前回にも登場した、日本語地名の規則に沿う地名
追分:道の分かれるところ。駅名としては石勝線と室蘭本線が接続する交通の要衝にふさわしいが、全国にも追分駅は点在。
共和町:昭和30年に前田村・発足村・小沢村が合併した際、公募して命名。「共」は皆で仲良くのイメージで好字、さらに昭和の年号であり「和」の字が適っていた。ちなみに、中国本来の共和は、周の時代に王が追放されていた紀年をさす。
清里町:分村された「小清水+斜里」各村の合成地名。
中川(町):天塩川中流の意で、明治 39 年に中川村ができたのが始まり。旧名は誉平で、市街の西方の川崖の名〈pon-pira〉「小さい崖」が元。
浜頓別:頓別村から中頓別村として分村したが、広い頓別地域の浜側にあるということから、頭に浜の字を附した。
福島(町):月崎神社の御神託に預かり改名した吉祥地名。もとは折加内と呼ばれ、〈horoka-nay〉「後戻りする川」であったか。
三笠市:空知集監の裏山が、奈良にある三笠山に似ていたことから。加えて、合併に際し三つの村が参加したことから。
札幌や旭川など、開拓の中心地として栄えたまちでは、より人工的で機械的な地名が聞こえます。
「北〇条」とか「〇条通り×丁目」とか、そういうヤツ。
これも身近ですね!
アイヌ語地名の留意点
ここからは、上記の規則をもとに、北海道のアイヌ語地名を考える際に、やや留意したい点を考えていきます。
ひとつ目、ぎなた読み。
いま私たちが接している北海道の地名は、「アイヌ人から聞いた地名を、(その土地に何の所縁もない)和人が名付けた」のか、「日本の命名規則に詳しいアイヌ人が、その地名に漢字を当てて名付けた」のか、はたまたそれ以外なのか。
そのどちらなのかは判断できませんが、日本語にもアイヌ語にも、両方について精通していなければ、やや違和感のある地名が出来上がってしまう。
すなわち、当て字をするということで本来の節の間で区切り、くっつけたりしてしまうという現象が起きます。
たとえば、弟子屈という地名。
アイヌ語の由来を考えると「岩盤の上」という意で〈tes-ka-ka〉、すなわち漢字は[テシ・カ・カ]の三字で当てられるはず。
しかし実際は、[テ・シ・カガ]であり、〈tes〉が何故か分割されたうえに、一方の〈ka〉は濁り別々の漢字が当てられるという始末。
(ふたつの〈ka〉は同じ意味なので、強勢のニュアンス)
ウーン、不思議ですね!
まァこれは、異文化交流あるある。
他の言語を考えてみても、たとえば地蔵菩薩の真言は、サンスクリット語で
ॐ हहह विस्मये स्वाहा(oṃ ha ha ha vismaye svāhā)
ですが、お寺にある真言の解説板などをみると
「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ」
と書いてあるなど、原語の意味からは逸脱した節で区切ってしまうこともしばしば。
そもそも日本語は、漢字という海外の言語に対応した文字を無理やり使って、いまでも書き言葉を表現しているわけですから…
況やアイヌ語をや、ですね。
ふたつ目、地名殺し。
すなわち、先に挙げた「その2」に類似した事例のうち、元の地名由来を連想できないようなケースについてですね。
というわけで、前回も取り上げた「千歳」をようやく解説。
地名の歴史としては、同地を流れる千歳川が由来。
街なかを流れていながらサケが元気よく遡上する河川ですが、これを〈si-kot〉すなわち「大きな窪み」と呼んでいました。
しかし、和人からするとその音が「死骨」と同じであるため、縁起が悪いように思われた。
なんだかんだ紆余曲折があり、多く生息していたタンチョウから鶴を連想、「死骨」と真逆に縁起がとても良い「千歳」を名付けた、という経緯があります。
そう考えた時、この「千歳」という地名は、まさしく地名として何の意味も持ち合わせていません。
「千歳」からは、激しい川の流れの様子や、それが創り出した美しい地形の妙が、わからない。
まァ、「シコツ」の方は支笏湖という湖の名で残っているわけですが… 同じ由来であるとはまったく思えません。これはいけない。
他の例では、こちらも自治体名にもなっている「豊浦」などでしょうか。
この地はかつて〈pe-un-pe〉すなわち「水のある所」を意味する弁辺と呼ばれていましたが、
同音の「べべ」は北海道の口語で女陰をいったそうな。
それを嫌い、農水産にとって縁起のいい吉祥地名に改称した、という経緯ですね。
あるいは、ここで挙げることに有益な例かどうかは微妙なところですが、ブリテン島のケルト人地名。
4世紀から始まるゲルマン民族の大移動の流れの中、なんやかんやあってブリテン島にはゲルマン人が押し寄せ、在来のケルト人勢力が駆逐されました。
その際、ゲルマン人とケルト人は互いに接触が少なく、言語的な混淆は少なかったため、逆に地名には本来のケルト系の単語が残存。
Kent「辺境」、York「イチイ」、 Dover「流水」、Thames「薄黒い川」、Avon「川」(シェイクスピアの生地を流れる川)など、大河川の名前はいまでも地名に残っています。
そう考えると、たとえ侵略・征服の歴史があったとはいえ、一部の地名は有意に保守的あり、ある意味ではかつての先住民たちの文化・言葉が地名というかたちで伝えられる。
そんな一例であります。
おわりに
最後に、アイヌ語地名の分布域について迫りたい…
と思ったのですが、長くなってきたので今回はここまでにさせていただきます。
想像以上に濃い内容となり、自分でも驚きました。
自分自身、アイデンティティは括弧付きの「日本人」であると自覚してきましたが…
やはりアイヌは別の文化であるのだなァと、改めて感じつつ、だからこそ学ぶ必要があるのだと、身が引き締まりました。
というわけで次回、アイヌ語地名の分布についてです。乞うご期待。
参考文献
今尾恵介『地名崩壊』角川新書、2019年.
永田方正『北海道蝦夷語地名解』草風館、1984年.
鏡味明克『地名が語る日本語』南雲堂、1985年.
角川書店『角川日本地名大辞典』全51巻、1978-1990年.
筒井功『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』2017年.
デジタル八雲町史
日本地名研究所監修『古代-近世「地名」来歴集』アーツアンドクラフツ、2018年.
服部英雄『地名の歴史学』角川書店、2000年.
平凡社『日本歴史地名大系』全50巻、1979-2003年.
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター、1956年.
中川裕『ニューエクスプレスプラス アイヌ語』白水社、2021年.